19年ラグビーワールドカップ(W杯)で日本代表の8強入りに貢献したWTB福岡堅樹(27=パナソニック)が、7人制代表での東京オリンピック(五輪)出場を断念した。

日本ラグビー協会が13日、7人制代表候補の練習生からの離脱を発表。新型コロナウイルスの影響で五輪が来夏に延期になったことを受け、夢である医師への道を優先することを決断した。14日にオンラインで記者会見を行う。

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文武両道を極める27歳のラガーマンが、大きな決断を下した。福岡は7人制での東京五輪出場を目指したが、五輪延期に伴い、かねて公言していた医学部への進学を目指すことを決断した。

史上初の8強進出した19年W杯後、7人制にシフト。今年2月下旬より代表候補合宿に練習生として参加し、「(今夏の)東京五輪に照準を合わせて少しずつ上げていきたい。やるからにはメダル」と強い決意を示していた。五輪を競技人生の「1つの区切り」と決め、新たな気持ちで臨んでいた。

W杯、20年東京五輪を経て医師の道へ-。そんな人生設計を立てていたが、3月下旬に新型コロナウイルス感染拡大により東京五輪の延期が決まった。自身の人生を熟考し、五輪を諦めて医学部受験に挑戦することを決意した。

5歳から始めたラグビーと並行して勉学にも励み、成績は常にトップクラス。進学校の福岡高時代に膝の前十字靱帯(じんたい)の手術を受け、アスリート目線を生かした医師への憧れが強くなり、筑波大の医学専門学群を目指した。1年間の浪人生活を経た2度目の挑戦では、2次試験で不合格。後期試験で同大情報学群に進学した。

大学入学後は文武両道を貫いた。15人制では13年4月に代表初キャップを獲得すると15年W杯代表にも選出。昨秋のW杯日本大会では、50メートル5秒8の快足を武器に、強豪アイルランド戦(静岡・エコパ)で逆転トライを含む4トライを挙げた。7人制でも切り札として期待は大きかったが、父で歯科医の綱二朗さんから言われてきた「一番後悔しない道を選べ」との言葉を守り、己の道を歩むことになった。

日本協会はこの日、福岡を含む代表候補5人の離脱を発表した。他競技を含めても、五輪1年延期による「離脱者」は珍しい。15人制から7人制の移行も難しく、肉体改造を図る必要もある。別の夢や年齢、モチベーションなどさまざまな要因があるが、7人制ラグビーにとって、五輪延期の及ぼす影響は他競技よりも大きかった。【峯岸佑樹】

◆福岡堅樹(ふくおか・けんき)1992年(平4)9月7日、福岡県古賀市生まれ。5歳でラグビーを始める。福岡高3年時に全国高校大会(花園)に出場。医者志望で複数の大学からの誘いを断り、1浪後に筑波大(情報学群)に進学。大学では2度の大学選手権準優勝に貢献。15、19年W杯日本代表。15人制代表キャップは38、7人制同キャップは4。祖父は内科医、父は歯科医。176センチ、85キロ。

◆7人制ラグビー 15人制と同じフィールドを使用し、試合時間は前後半7分で1日数試合行う。FW3人、BK4人で構成し、スクラムは3人同士で組む。トライ後は、バウンドさせて蹴るドロップキックでゴールを狙う。リオ五輪から採用され、東京五輪は男女とも12チームが出場。4チームずつ3組に分かれて1次リーグを行い、各組上位2チームと各組3位の勝ち点上位2チームが、8チームによる決勝トーナメントに進出。順位決定戦も行われる。

◆リオ五輪7人制VTR 1次リーグC組の日本は、初戦で優勝候補のニュージーランドを14-12で破り大金星をつかんだ。その後、英国に敗れたがケニアに圧勝し、同組2位で準々決勝進出。B組2位のフランスにも勝利して、15人制も含めた主要国際大会初の4強入りを決めた。準決勝では金メダルのフィジー、3位決定戦では南アフリカに敗れたが存在感を示した。