DF吉田麻也(32=サンプドリア)が主将マークを巻き、08年北京、12年ロンドンに続き3大会目となるオリンピック(五輪)のピッチに立ち、無失点勝利に貢献した。

日本サッカー界で五輪3大会出場は「伝説のキャプテン」として知られる68年メキシコ大会銅メダリスト八重樫茂生以来。12年のロンドン大会であと1歩で届かなかったメダルに向け、好発進した。

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主将マークを巻いた吉田が、最終ラインをけん引し無失点勝利に貢献した。A代表でコンビを組むDF冨安が、21日に左足首を痛めベンチ外。想定外にも、経験豊富なベテランは冷静だった。「まさか初っぱなでアクシデントが起こるとは思ってなかったけど、代わりに入った選手も安定していた」。終盤はヒヤリとする場面が続くもゴールを死守。初戦勝利に「後半は仕留められると思っていた。試合前から失点は絶対にしないと話していた。じれないでやれたのはよかった」と振り返った。

日本サッカー界で、3大会の五輪出場は八重樫茂生以来。八重樫はメルボルン(56年)、東京(64年)、メキシコ(68年)の3大会に出場。メキシコでは初戦で負傷し、以降はピッチ外でチームを鼓舞して銅メダルに貢献し「伝説のキャプテン」と呼ばれた。その大先輩の偉業に並んだ試合で、主将として、守備の要としての役割を全うした。

当初は、東京五輪のオーバーエージ出場を辞退するつもりだった。だが、20年1月にイタリアのサンプドリアに移籍し、コロナ禍で日本代表の活動はできなかった時間を経て考えが変わる。「どれだけ日本サッカーを押し上げられるか。少しでも貢献できることがあるならばトライしたいという思いが増した」。3大会目の五輪に「おそらく最後だと思う」と位置づける。

A代表では18年のW杯ロシア大会を終えてMF長谷部誠から主将を継いだ。五輪代表でもA代表同様、サッカーの基本である「闘う」「ハードワーク」をピッチで体現し、各選手に意識付けしてきた。この日も「ボールをたくさん触ったので疲れました」と苦笑も「戦い方ももっと工夫すればよくなる。次のメキシコ戦がカギ」と次戦を見据える。ロンドンであと一歩届かなかったメダル。「もっともっとできる。思い切り自分たちを出せれば全然、ロンドンを超えられる」と手ごたえを口にした。

 

◆伝説のキャプテン 八重樫茂生は68年メキシコ大会に35歳で3回目の五輪出場。MFとして出場した1次リーグ初戦のナイジェリア戦で負傷した。戦列を離れても裏方としてチームをサポート。一回り以上違う選手をマッサージし、深夜まで全員分のユニホームを洗濯した。最年長の献身的な姿に、選手は涙しながら奮起。長沼健監督は「彼がいなかったら、銅メダルはなかった」と話した。

 

◆吉田と五輪

◆北京五輪(08年) 名古屋所属で当時19歳で選出。DF長友、内田、MF本田、香川らがメンバー入り。反町康治監督が指揮し、オーバーエージなしで参戦。初戦はアメリカに0-1、2戦目はナイジェリアに1-2、3戦目はオランダに0-1で敗れ3戦全敗で1次リーグ敗退。吉田は3戦目だけの出場だった。

◆ロンドン五輪(12年) オランダ・VVV所属でオーバーエージ枠で当時23歳で選出。関塚隆監督。主将。初戦はスペインに1-0、2戦目はモロッコに1-0、3戦目はホンジュラスに0-0で1次リーグ突破。準々決勝はエジプトに3-0で勝利し、準決勝はメキシコに1-3で敗戦。銅メダルをかけた3位決定戦は韓国に0-2。吉田は全試合で先発した。この活躍を機に、プレミアリーグ・サウサンプトンへステップアップ。