卓球女子の石川佳純(27=全農)は、3度目のオリンピック(五輪)で初となるシングルスのメダル獲得を目指していた。新型コロナウイルスの影響がなく今年、東京五輪が開かれていれば同種目3、4回戦だった28日。番狂わせを起こされ初戦(3回戦)で姿を消した16年リオデジャネイロ五輪の忘れ物を取り返しにいくはずだった。

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「2020」という数字を見ることすら心労だった。12年ロンドン、16年リオと過去2度、五輪を経験したベテラン石川も、自国五輪を目指すプレッシャーはとてつもなかった。19年の五輪選考レース中に放送されていた東京五輪を描いたNHK大河ドラマ「いだてん」も見られなかった。「東京オリンピックの…、つらいんですよ。2020って見るのもつらいんです」。

伊藤美誠、平野美宇より8学年上。日本代表クラスは伊藤、平野世代の前後が多い。20代後半は石川ただ1人だった。19年の世界ランキングで争われる五輪選考レース。上位2枠しかないシングルス代表の座に対し、日本勢3番手となり苦しくなった時、孤独感に襲われた。「同世代や年上の選手がいないと、ああもうだめなのかなと、くじけそうになるのは正直あった」。

16年リオ五輪以降、全日本選手権では平野、伊藤に敗れ、自分の卓球スタイルに限界を感じたこともあった。

「このプレースタイルがダメなのかなと思うこともあったし、(他人から)言われていたことも知っていた。若い選手の方が中国選手に勝てるんじゃないかと、そういう疑いの目を向けられているのも、もちろん知っていた」

福原愛さんとともに日本を長年背負ってきた石川が、土俵際まで追い込まれた。7歳から始めた競技で「初めてやめたいと思った」と精神的にも肉体的にも文字通りボロボロになった。

それでも母国で開催する五輪へ出場する執念で、世界を転戦し続けた。そして19年最終戦のグランドファイナル、平野とのシングルス代表争いは、世界ランキングポイントでわずか135点という僅差で、石川に軍配が上がった。

リオの借りを返すためにもシングルス代表は絶対につかみたかった。世界ランキング6位で挑んだ前回大会。試合中に右足を痛めた影響もあり同50位のキム・ソンイ(北朝鮮)に3-4で敗れ、初戦で姿を消していた。

「五輪でした思いは、五輪でしか返せない。シングルスはすごく悔しい思いが残っているので、やっぱりリベンジしたかった」

延期期間は日本3選手で争った激闘の傷を癒やすに十分な時間。満を持して来夏、初のシングルスメダルを目指す。【三須一紀】

◆石川佳純(いしかわ・かすみ)1993年(平5)2月23日生まれ、山口市出身。両親ともに卓球選手で、平川小1年で競技を開始。07年全日本選手権で13歳11カ月の史上最年少ベスト4。11年には高校生として22大会ぶり全日本初優勝。12年ロンドン五輪シングルス4位、団体銀メダル。16年リオ五輪は団体銅。14、16、18年世界選手権団体銀。158センチ。家族は両親と妹。血液型O。