重量挙げでオリンピック(五輪)2大会連続メダリストの三宅宏実(35=いちご)が東京五輪の女子の日本代表に決まった。日本女子では柔道の谷亮子さん以来2人目となる5大会連続出場となる。15日、日本重量挙げ協会が発表した開催国枠での選考基準を満たし、女子49キロ級の代表に選ばれた。同じ東京開催となる1964年と2021年をつなぐ三宅一族の代表としても、集大成の舞台に挑む。男子は4人、女子は三宅を含む3人が代表に決まった。

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「残り39日となってますが、あっという間だなと。21年間の総まとめ。1日1日を大切に、悔いのないように頑張ります。よろしくお願いします」

三宅はいつも通り丁寧に言葉をつなぎ、覚悟を示した。目と鼻の先、6週間後の5度目の舞台は、本来は昨夏、01年に競技を始めて「20年間の総まとめ」になるはずだった。コロナ禍での1年延期はさらなる苦難を強い、そして家族の力も知った日々だった。

満身創痍(そうい)で銅メダルを獲得した16年リオデジャネイロ五輪から5年。12年ロンドン五輪の銀に続く2回目の表彰台に上がった後がまず、過酷だった。1年間の休養を挟んだが、腰痛が悪化。満足にバーベルも持てない時間が当たり前になった。

19年5月には全日本選手権で右足の肉離れを起こし、全治2カ月のケガも負った。さらにコロナが襲った。「延期が2年なら(五輪を)あきらめていた」と本音を漏らしたこともある。

昨年3月、実家に戻った。約10年ぶり、家は建て替えられ昔の練習場所はなくなったが、リビングがその場所になった。「帰った時は落ち込んでしまい、何日かは考えることも多かった。ただ、考えていても仕方ない。何も成し遂げていない数カ月になりたくなかった」。

当時の緊急事態宣言解除までの2カ月間、それまで1人で考えていた練習メニューを変えた。68年メキシコ五輪銅メダリストで、競技の基礎をたたき込まれた父義行さんの助言があった。「(父には)かなわないなあ。それまでは自分で計画して、それがケガに結びついた。父のメニューに変わってからは安定してできている」。父は「どう手を差し伸べれば良いのか…」と心を砕き、母育代さんは栄養満点の料理で支えた。折れそうになった体と心をつないだ。

4月には1年半ぶりの実戦のアジア選手権で8位。記録はリオ五輪の時には届かなかったが、感覚を養えた。そしてこの日、日本協会が定めた世界ランク3位の重量に近い記録を持つ選手として、開催国枠を得た。

父の兄義信さんは、64年東京五輪の金メダリスト。三宅家の系譜は、57年後の再びの「東京」での集大成の舞台につながった。競技を迎える7月24日は「現役最後の日」と誓ってきた日。フィナーレの足音が近づく。【阿部健吾】