男子グレコローマンスタイル77キロ級で、屋比久翔平(26=ALSOK)が、銅メダルを獲得した。3位決定戦でイラン選手に勝利した。沖縄県出身選手として個人種目のメダルを獲得したのは初めて。日本グレコ勢では最重量のメダルとなった。女子62キロ級の川井友香子(23=ジャパンビバレッジ)は3試合を勝ち抜いて銀メダル以上を確定。4日の決勝に進出した。

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太ももがうなった。2-3の第2ピリオド。腹ばいになった相手に両手をかけて、一気に持ち上げる。屋比久の必殺のリフト。「最後に大きな技が決まったのも練習の成果かな」。高校、大学と“人間”を上げ続けた。10選手がいれば、それぞれにリフト技をかけた。肉と肉の感覚を身に染み込ませ、投げる感覚を研ぎ澄ませてきた。大一番、その結晶の一発だった。

前方に投げつけた。無観客で関係者だけの会場から大きな拍手が沸いた。6-3と逆転。「イラン選手はすごくバテる傾向があるので後半にいけると思った」と主導権を奪ってリードを広げ、銅メダル。68年メキシコ大会70キロ覇者の宗村宗二を上回り、最も重い階級での表彰台。「シンプルにうれしい」と汗を拭った。

大技を支えるのは「太ももモンスター」と呼ばれる脚。太もも回りは60センチ以上。リフトの基礎を教え込んだ父保さん(59)譲りの肉体かと思いきや、「いやいや、かみさんですよ」。母直美さんは高校記録を樹立したやり投げ選手だった。投てき系では室伏広治の同期で88年ソウル五輪の代表候補だった。太ももの筋肉は、そこにルーツがある。

父母ともに五輪にあと1歩届かなかった。89、91年全日本王者の父は、2度の挑戦があった。88年ソウル大会で届かず、92年バルセロナ大会は国内予選の試合中に左足の大けがを負い、救急車に運ばれて夢尽きた。引退して故郷沖縄で指導者になり、95年に生まれた翔平に夢の続きを託した。母も肩のけがなどもあり、26歳で引退を余儀なくされた。沖縄初の五輪レスラーは、同県に個人種目初のメダルをもたらした。最高の親孝行ができた。

「翔平」の名前には「平成に生まれて、世界に羽ばたいてほしい」との思いが込められている。メダルをかけた大舞台で、堂々と戦い抜いた。「唯一見せられるのがリフト技。それが最後に見せられて、少し、レスリング、グレコの魅力が見せられたんじゃないかなと思います」。その一発には、積年の思いが凝縮していた。【阿部健吾】

<屋比久の得点経過>

第1P

1分25秒 屋比久の消極的姿勢でゲラエイに1得点 1分41秒 ゲラエイが屋比久を持ち上げて投げて2得点。

第2P

24秒 屋比久がゲラエイを場外に出して1得点。

52秒 ゲラエイの消極的姿勢で屋比久が1得点。

1分21秒 屋比久がゲラエイを持ち上げて背中からひっくり返して4得点。

2分21秒 ゲラエイの反則で屋比久が2得点。

2分54秒秒 飛び込んできたゲラエイを屋比久がかついで背中からひっくり返して4得点。10点差がつき屋比久のテクニカルフォール勝ち。

◆屋比久翔平(やびく・しょうへい)1995年(平7)1月4日、沖縄県生まれ。沖縄・浦添工高-日体大。17年から世界選手権に3年連続出場。18年ジャカルタ・アジア大会5位。父の保さんは89年世界選手権代表。174センチ。

◆グレコ最重量 日本が獲得したグレコローマンスタイルのメダルでは77キロ級は最重量。中量級では68年メキシコ大会ライト級(70キロ)で宗村宗二が金、00年シドニー大会69キロ級で永田克彦が銀を獲得している。

◆沖縄県勢個人種目初 沖縄県出身選手として個人種目のメダルを獲得したのは初めて。唯一のメダルは体操の知念孝で、92年バルセロナ大会男子団体総合で銅メダルに輝いている。