「元気ですか! 元気があれば何でもできる!」。大きな声が、頭から離れない。「イノキ! ボンバイエ」のメロディーが耳元に響く。病気のことがあったから考えないわけではなかったけれど、改めて存在の大きさを実感している。

子どものころからファンだった。50代、60代の多くの(特に)男性が同じ思いのはず。当時の小学生の男の子たちはコブラツイストをまねた。中学生や高校生になると、プロレスの「深さ」を知って、次のタイトル戦の勝敗を予想した。

団体を超えたストロング小林戦、競技まで超えたルスカ、ウィリアムス戦に興奮した。アリとの「世紀の一戦」は仲間と激論を交わした。ホーガンの斧爆弾に失神した事件は、会場にいた友人から「大変だ」と緊急連絡が回った(携帯ではなく、家の電話に)。

高校の文化祭では、教師の反対を押し切ってプロレスをやった。もちろん、大人気。昭和の終盤、1970年代から80年代は、みんなプロレスが好きだった。その頂点に猪木さんが君臨していた。近年は政治家や実業家としても活躍したが、プロレスラーとして圧倒的なカリスマだった。

他に選択肢がなかったのだ。当時、映像として見ることができるスポーツはわずかだった。ゴールデンタイムにテレビ中継があるのはプロ野球とプロレスぐらい(ローラーゲームなどもあったが)だった。

大相撲中継はあったが、年6回だし18時で終わる。サッカーも1試合を2週間で放送する番組と正月の高校選手権ぐらい。多くの五輪競技が注目されるのも、4年に1回だった。

新橋駅前が人で埋まった街頭テレビの力道山ほどではないけれど、70、80年代もプロレスがお茶の間のテレビの前に家族を集めた。毎週金曜日夜8時、民放各局が中継していた頃もあるから、週に2、3回放送されたこともあった。

「娯楽が少なかった」と言ってしまえば確かにそうだが、みんなが見ているから職場や学校の話題もプロレスになる。しかも、オフがなく1年中。誰もが好きな国民的ヒーローが誕生するのは自然だった。

今、スポーツを「見る」選択肢は、飛躍的に広がった。バレーボール女子の世界選手権が地上波テレビで始まったと思ったら、卓球世界選手権団体戦も開幕。6日からは柔道の世界選手権が始まる。すべて地上波で見ることができる。

BSやCS、さらにネット中継、いまや世界中のスポーツがリアルタイムで視聴可能になった。家族や仲間がそれぞれ、興味のあるものを選んで見る。逆に興味がないものは見ない。羽生結弦や大谷翔平のように幅広い層から支持されるのは難しく、競技の枠を超えた国民的ヒーローは生まれにくくなった。

「巨人、大鵬、卵焼き」は昭和の言葉。高度経済成長期で価値観が画一化されていたから大衆の好きなものが決まった。そこに「猪木」が加わっても、違和感はない。

昭和の時代が生んだヒーローながら「猪木の常識は世間の非常識」と次々と新しいことに挑戦した。平成になってからの「迷わず行けよ」は、時代の流れに戸惑う昭和世代の背中を押した。令和にはすべてをオープンにして最後まで戦う姿をみせた。時代が生み、時代とともに生きたスーパースター。猪木さんのような国民的ヒーローはもう誕生することはないだろう。(ニッカンスポーツ・コム/記者コラム「OGGIのOh! Olympic」)