被災から17日、東北高校はセンバツで戦った。「あの光景」が人生に灯ったナイン
仲間と身を寄せ合って、甲子園にたどり着いた東北高ナイン。バスを降りると、想像もしていなかった光景が待っていました。(2015年3月7日掲載。所属、年齢などは当時)
高校野球
11年3月28日。東北(宮城)は、被災した東北地方の代表として第83回センバツを戦った。0─7で大垣日大(岐阜)に敗れたが、全54人の部員は最後まで全力プレー、全力応援を続けた。あの日の経験は、彼らの人生にどんな影響を与えたのだろうか─。
手をつけられない握り飯
4年前の「あの光景」を思い出すと、今でも涙があふれてくる。
早朝の甲子園球場。大垣日大とのセンバツ初戦を数時間後に控えていた。バスを降りて球場へと歩き出す。その道中で聞こえてきた力強い励ましに、東北3年の小野寺隼人は思わず耳を疑った。
「頑張れ!」
「応援してるぞ!」
声の主は「東北」と書かれた運動着を見つけた人々だった。「おなかすいてるでしょ。これ食べて」と、おにぎりや水を手渡してくれる人までいた。
見たことも、会ったこともない人だった。「こんなことがあるなんて…その気持ちがありがたくて、泣きそうになりました」。胸がいっぱいで、受け取ったおにぎりには手をつけられなかった。
3月11日はセンバツに向けた練習中だった。強い揺れを感じた部員はグラウンドの中央へ逃げ、夜は寮の向かいの中学校で約200人の避難者と寝た。
暗闇の中で。電気が13日に復旧しても、水道はめどが立たないまま。震災後も自主練習は続けていたが、テレビや新聞で情報を目にするたびに胸が痛んだ。「この状況で野球をやっていいのか」。心は揺れ動いていた。
迷いを打ち消してくれたのは地元の人々だった。できることをしようと、部員は水や物資を運ぶボランティアを続けた。接した人々は、誰もが「俺たちの分も頑張って」「胸を張って出てほしい」と背中を押してくれた。
家族を亡くした人さえも「甲子園、大丈夫? 何かできることがあれば言ってね」と─。
18日にセンバツの開催が正式決定。ベンチ入りメンバーが大阪へ出発した翌19日には、約400人が「頑張れ」の横断幕でバスを見送った。
メンバーはもちろん、ベンチ外の小野寺も「この方々のために、少しでも全力でやっているところを見せたい」と決心した。いつしか「恩返し」がチームの合言葉になった。
結果は0─7で敗れた。勝ちたかった。応援に応えられなかった。強い心残りが、小野寺の人生を変えることになる。
