命を救った「野蒜小、ファイト!」の声 津波から生還した少年は野球に夢を見た

1階は動かなくなった人が浮いていた。2階では高齢者が低体温症で息を引き取っていく。ずぶぬれの自身も眠気に襲われたが、救われた。「野蒜小、ファイト!」と児童が叫び励まし合っていた―。(2021年3月14日掲載。所属、年齢などは当時)

その他野球

10年前、津波から生還した。宮城・東松島市。野蒜(のびる)小野球スポーツ少年団の主将だった尾形凌さん(22)は、当時5年生で東日本大震災に遭った。

揺れの1時間後、ふとトイレに行って逃げ遅れた。学校の体育館1階ステージに登ったが「ドーンという爆音」とともに、扉を突き破り濁流が入ってきた。高さ3メートルの2階の足場下まで水かさが増し、1階で不気味に渦巻く。その中を洗濯槽のように流され、失った意識を取り戻した時には2階に引き上げられていた。

◆野蒜(のびる)地区宮城県東部・東松島市の南部海岸線に位置する。「奥松島」の名前で親しまれる景勝地で、夏は海水浴場となる。津波の被害が最も大きかった地区のひとつ。

2011年9月11日、2階ギャラリー(高さ3メートル)の10センチ下まで浸水した野蒜小の体育館

2011年9月11日、2階ギャラリー(高さ3メートル)の10センチ下まで浸水した野蒜小の体育館

ずぶ濡れ 睡魔

1階は動かなくなった人が浮いていた。2階では高齢者が低体温症で息を引き取っていく。「地獄」。ずぶぬれの自身も眠気に襲われたが、救われた。「野蒜小、ファイト!」と児童が叫び励まし合っていた。

8時間後に戻った自宅も床上浸水。車中で夜を明かした。翌朝。父嘉宏さんによると、車を出てがれきの中でバットを振っていた。震災2日後に、自分が主将になって初めての試合が組まれていた。「明日、試合あるんだもん」と信じて。

11年9月11日、野蒜小野球スポーツ少年団の4番を務めた尾形凌君

11年9月11日、野蒜小野球スポーツ少年団の4番を務めた尾形凌君

9月11日。震災後初の試合で尾形捕手は決勝打を放った。

祖父母、両親、兄の家族5人を失った後輩が打席に入ると「ファイト!」。今度は純粋な応援ができた。

試合後は「大好きな野球を(両親が)続けていいと言ってくれたんだ。プロになるね」と約束した。

スポーツ

木下淳Jun Kinoshita

Nagano

長野県飯田市生まれ。早大4年時にアメリカンフットボールの甲子園ボウル出場。
2004年入社。文化社会部から東北総局へ赴任し、花巻東高の大谷翔平投手や甲子園3季連続準優勝の光星学院など取材。整理部をへて13年11月からスポーツ部。
サッカー班で仙台、鹿島、東京、浦和や16年リオデジャネイロ五輪、18年W杯ロシア大会の日本代表を担当。
20年1月から五輪班。夏は東京2020大会組織委員会とフェンシング、冬は羽生結弦選手ら北京五輪のフィギュアスケートを取材。
22年4月から悲願の柔道、アメフト担当も。