大波に立ち向かっていったオヤジ「失敗したら命を取られる」志田宗大スコアラーの回想
岩手・大船渡には、東京ヤクルトスワローズのジャンパーをまとった漁師がたくさんいるという―。海に立ち向かったおやじの強さと、受け継いだ息子の覚悟。(2015年3月3日掲載。所属、年齢などは当時)
プロ野球
◆志田宗大(しだ・むねひろ)1979年(昭54)6月16日生まれ、岩手県出身。小3で野球を始め、仙台育英では甲子園に3回出場。青学大ではリーグ優勝2回、日本一1回。01年ドラフト8巡目でヤクルト入団。9年間在籍し打率2割1分8厘、5本塁打だった。10年に引退しスコアラーに転身。現在の所属は巨人。178センチ、75キロ。右投げ右打ち。
母の声に泣き崩れ
スコアラーになって1年目の志田は、慌ただしい毎日を送っていた。2011年3月11日は広島―巨人のオープン戦。マツダスタジアムのバックネット裏で仕事をしていた。
「後ろの人が『東北ですごい地震があった』って話すのが聞こえたんです。嫌な予感がして、電話しても全然つながらなくて」
両親は大船渡で漁師をしている。自分が4代目だったが、プロ野球選手になりたい夢を認め、黙って見守ってくれた。
父の恵洋(68)と連絡がついたのは、思ったより早い午後5時ごろ。衛星回線を利用した船舶電話がかかってきた。
カキの養殖をやっているとき、揺れる海の上で突き上げを感じた。すぐ陸に行き、かあさん(サキ子=67)はトラックで逃げさせ、自分は沖に逃げた。
三陸に大きな地震が来たら、約15分以内に津波が来ると計算していた。戻ってかあさんを陸に上げて、自分が行けば大丈夫というタイミングだったから、陸に行った。白い壁がドーンと来た…。冷静で淡々とした口調に驚いた。
「5メートルくらい?」「違う。20メートルはあった」と言われた。漁師は「海の避難場所」を知っている。津波の影響を受けない水深200メートルの沖に避難した。約200隻のうち、逃げ遅れて波を突破できなかった2、3隻が海にのみ込まれた。志田少年をかわいがってくれた〝船友〟もいた。
第2、第3波の恐れもあり、恵洋は一昼夜を海で過ごした。サキ子と連絡が取れたのは10日ほど後だった。
「電車に乗っていたんですが、とっさに電話に出ました。母の声を聞いたら涙が止まらなくなって、全身の力が入らない。当時は同じような境遇の人が多かったのでしょう。周囲の方に『大丈夫ですか』と助けてもらいました。膝から崩れ落ちるっていうのは、初めて経験しました」
海と道路1本隔てただけの実家は全壊していた。元あった土地に家を建て直した。
