大谷翔平を見たパンチョさんは、なんて言うだろう…没後20年 日米の懸け橋を回顧

野茂英雄、イチロー、大谷翔平よりも…ドラフトの美声と博識で、野球とベースボールを身近な存在にしてくれた貢献度は、この方がNO・1かもしれません。没後20年、パンチョ伊東さんへのオマージュです。(2002年7月10日掲載。所属、年齢などは当時)

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元パ・リーグ広報部長 伊藤一雄さん

ベースボールを愛したパンチョさんらしい、葬送曲が流れていた。

「TAKE ME OUT TO THE BALLGAME」(私を野球に連れて行って)。パ・リーグ広報部長としてリーグ発展に尽力し、ドラフト会議の名司会ぶりでは一躍有名に。大リーグの魅力を語り続け日米球界の架け橋役を担った伊東一雄さん(享年68)の葬儀・告別式が9日、東京・芝公園の増上寺で営まれた。

参列した誰もが「お世話になった」と口をそろえる。あの甲高い声で語る、大リーグの魅力に耳を傾けた。僕もその1人だ。

◆伊東一雄(いとう・かずお)1934年(昭9)、東京生まれ。都立三高(現在の両国高)卒。59年にパ・リーグ職員となり、76年から広報部長を務めた。軽妙、かつ決然とした司会でドラフト会議を取り仕切り、茶の間で人気を博した。独学で学んだ英会話を生かしてメジャーリーグにも精通し、スポーツニュースに欠かせない存在となった。02年7月4日、心不全のため68歳で死去。愛称「パンチョ」は当時、メジャー関係者で知らない人はいないほど有名に。

3年前の米大リーグ球宴。ボストンを訪れた。手違いで球宴のパス(取材証)がなく、それでも記念にと100年近い歴史を誇るレッドソックスの本拠地、フェンウエィパークの周辺をうろうろしていた。

フェンスの向こう側で行われようとしている夢の球宴を見たい。でもパスがない。チケットも売り切れ。あきらめ気分でいた時に、知人を介して伊東さんがパスを譲ってくれた。