【35年前の今日:1987年6月11日】巨人クロマティの右フックが中日宮下昌己へ
インパクトに絞って球史を振り返る企画「●年前の今日」に、キング・オブ・乱闘が登場です。グラウンド上で決まった最も強烈な1発。見舞った側は格闘技に転身後、古巣でコーチに。食らった側は…セカンドキャリアも注目です。パンチが紡ぐ縁。だから人生は面白い。(前半は1991年12月1日、後半は2007年6月6日掲載。所属、年齢などは当時)
プロ野球
ドラフト指名を受けプロのユニホーム姿に胸ふくらませる選手がいる一方で、寂しく第二の人生に踏み出そうとする選手もいる。西武宮下昌己投手(26)は4年前の中日時代、巨人クロマティと乱闘劇を演じて以来、一軍から姿を消し、今季限りで球界を去る。目指すは調理師。そんな選手をきょう1日から球団別に取り上げます。題して「再出発・それぞれの第2の人生」――。
?新宿行き京王線の車中 頬に手
「あの時の痛み? まだはっきりと覚えていますよ」。新宿に向かう京王線の車中で、宮下はそっと頬(ほお)に手をやった。
1987年(昭62)6月11日、衝撃的なシーンが全国の茶の間に映し出された。熊本・藤崎台球場での巨人―中日戦。中日先発杉本を救援してマウンドに上った宮下は、5、6回を無難に切り抜け7回を迎えた。
2死二塁、打席にはクロマティが入った。「右投手が左打者にぶつけるなんて、あり得ないんですけどね」。
?左あご打撲、口内裂傷で全治10日
手元が狂ったのか、投球は右わき腹へ。怒ったクロマティがマウンドに突進、宮下に強烈なパンチを浴びせた。「左あご打撲、口内裂傷で全治10日間」と診断された。
その年は、宮下にとってプロ入り最高の成績を残したシーズンでもあった。50試合に登板し5勝3敗2セーブ。150キロの快速球を武器に毎試合、ベンチで出番を待った。
だが絶頂を見た期間は短く、シーズン終了間際に右肩の激しい痛みに襲われた。「注射を打って投げましたよ。投げなきゃいけなかったから」。星野中日の1年目、巨人と優勝を争う中でのことだった。
◆宮下昌己(みやした・まさみ) 1965年(昭40)1月4日、東京生まれ、26歳。日大三高から82年ドラフト6位で中日に入団、89年オフ、西武へ移籍。調布・神代中時代は荒木(ヤクルト)と同期。後輩に飯田(ヤクルト)。プロ9年で通算9勝12敗3セーブ。思い出は中日時代の88年リーグ優勝。その時の寄せ書きは宝物。今後は調理の勉強後、東京・下高井戸に店を出す予定。
売り出し途中でのリタイア。皮肉にも宮下に残されたものは「クロマティに殴られた男」の代名詞だった。「あの年、報道関係の表彰で僕の殴られた写真が大賞に選ばれたんです」。
