【虎のお家騒動〈1〉藤村富美男排斥事件】13選手が「退陣要求書」を提出!

2022年の阪神は騒がしい。矢野監督の退任表明に、開幕9連敗。過去にもいろいろありました。15年に掲載した大型連載「猛虎の80年」から衝撃の事件簿を復刻します。第1回は「藤村富美男排斥事件」です。(2015年1月31日掲載。所属、年齢などは当時。本文敬称略)

プロ野球

★前代未聞のクーデター

阪神最大のお家騒動といえば、藤村富美男監督の排斥事件だろう。

選手たちがこの監督ではダメだ、代えてくれと球団に直談判。信じ難い事件は59年前の1956年(昭31)に起きた。

◆藤村富美男(ふじむら・ふみお)1916年(大5)8月14日、広島・呉市生まれ。旧制呉港中時代にエースで4年連続甲子園出場。36年阪神創設時に入団。戦時中は中国などに出征し戦後復帰。野手転向後、49年はダイナマイト打線の4番三塁で本塁打&打点の2冠王。50年首位打者。46年と55~57年は監督を兼任(57年は出場なし)、58年引退。56年6月24日広島戦(甲子園)では、9回2死で「代打オレ」を告げ、「代打逆転満塁サヨナラ本塁打」。実働17年で1558試合、224本塁打、1126打点、生涯打率3割。8年の投手成績は76試合34勝11敗、防御率2・35。背番号10は永久欠番。74年殿堂入り。92年5月28日逝去。現役時代は右投げ右打ち、173センチ、79キロ。

11月上旬、阪神主将金田正泰の自宅に田宮謙次郎ら主力が集結した。この年から兼任監督を務めた藤村の退陣を求める決起集会だった。

藤村は物干しざおの異名を取った94センチの長尺バットで、巨人川上哲治に対抗する主砲として活躍。初代ミスタータイガースも襲名した。だが、監督としての選手受けはよくなかった。

当時の日刊スポーツによると、ワンマン体質だった藤村と金田ら主力はシーズン中から折り合いが悪かった。そして6月10日の国鉄戦ベンチで、藤村が金田を公開で怒鳴り、決定的な亀裂が走る。

金田らは4年目吉田義男(81=日刊スポーツ客員評論家)、小山正明ら若手も囲い込んでいった。

「打てそうな投手の時しか出ない」「勝った手柄を全部持っていく」。契約更改は基準の藤村が言いなりでサインするため、下の選手の給料が上がらない待遇不満もあった。

13人に膨らんだ不信任の一団は11月11日、オーナー野田誠三に「退陣要求書」を提出した。

吉田 私たち若手に藤村さんを批判する気持ちはなかった。でも主力についていかざるを得ない状況で随分悩みました。まだ組織も未熟な時代。藤村さんは孤立無援だったと思います。

バットを手にポーズする阪神藤村監督=1956年

バットを手にポーズする阪神藤村監督=1956年

前代未聞のクーデターに苦慮した球団は、強硬路線を取った。