【DeNA週間〈4〉中畑清監督の退任劇】賭けの一言「俺が責任を取る」も不発
人事は水もの、を地で行った退任でした。横浜DeNAベイスターズ初代監督の中畑清氏。前半戦終了時に続投要請を受け、前向きな返事をしながらも土壇場で翻意、自ら身を引きます。その場にいなければ絶対に分からない、番記者ならではの描写に臨場感が漂います。(2015年12月1日掲載。所属、年齢などは当時。文中敬称略)
プロ野球
決断なき人生はない。分岐点に立たされたとき、どの道を選択するか。野球人たちも、悩み、苦しみ、そして未来に希望を見いだし、扉を開ける。今季もさまざまな局面に対し、断を下した。長期連載「野球の国から 2015」では、プロ、アマ、メジャーリーガーたちの「決断」に迫る。第1回は、来季続投を要請されていたDeNAの中畑清前監督(61)が、退任を「決断」した舞台裏を追った。
◆中畑清(なかはた・きよし)1954年(昭29)1月6日、福島県生まれ。安積商(現帝京安積)から駒大を経て75年ドラフト3位で巨人入団。3年目から三塁手として1軍定着。「絶好調」を決めゼリフに人気を集めた。81年に一塁手転向。81~88年に4番で219試合出場。82~88年ゴールデングラブ賞。球宴出場6度。労組日本プロ野球選手会初代会長。通算1248試合、打率2割9分、171本塁打、621打点。89年引退。93、94年巨人1軍打撃コーチ。04年アテネ五輪(銅メダル)では長嶋監督急病のため日本代表監督を代行した。12年からDeNA初代監督。16年からは野球解説者に復帰。185センチ、90キロ。右投げ右打ち。
★進まぬマツタケ鍋「ほら、食べろよ」
秋の香りが部屋中に立ちこめていた。9月30日。
都内の中畑邸の食卓にマツタケ鍋がでんと構えていた。中畑が声を張り上げる。
「これは東北産の高級品だぞ。遠慮しないで食べろ」
駒大時代からの仲間数人が集っていたが、誰も箸をつけようとしない。
「もういいじゃないか。俺は決めたんだ。ほら、食べろよ」
そんな言葉にあらがうように、1人の後輩が切り出した。
「僕は納得がいかない。責任とはそういうものではないと思います。中畑さんにとっての責任は続けることではないでしょうか」。目を見開いて言った。
その数時間前だった。
5位以下が確定して、遠征先の神戸から帰京した中畑は、その足で球団社長の池田純(39)、GMの高田繁(70)、編成部長の吉田孝司(69)との4者会談に向かった。
5年目の来季体制づくりを建設的に行うためだった。だが、核となるコーチ人事で一向にまとまらなかった。
★コーチ人事の押し引き
その背景には、球団運営における認識の違いがあった。
DeNAは大リーグと同じGM制を採用。チーム編成、人事、契約などほとんどの権限を有するGMの下、中長期的なビジョンでチームづくりを進めていく。一過性の結果よりも着実な成長曲線を重んじる。
一方で、日本球界は古くから、現場責任者の監督に補強やコーチ人事など、ある程度の決定権が与えられる場合が多かった。
「1年勝負」の世界で生きてきた中畑は、勝てるチームを形成する上では、従来のように自身の要望を受け入れてもらう必要があると考えていた。
続投か、辞任か-。
話し合いは平行線をたどり、次第に気持ちが傾きはじめた。そして最後に、一筋の望みをかけて勝負手を打った。
