祝!DeNAドラ1【ヤクルト週間〈2〉度会博文の子育て論】息子2人の球は重かった

コーチ、広報、営業、金の卵たちの指導…現役時代と同じで、引退後のキャリアにも懐の深さがにじみ出ています。スワローズ一筋、知天命の年を迎えた職人の子育て方針。わが子にも敬意を忘れない姿勢に、学びが詰まっています。

プロ野球

◆度会博文(わたらい・ひろぶみ)1972年(昭47)1月26日、千葉生まれ。八千代松陰から中央学院大を経て93年ドラフト3位でヤクルト入団。内外野を守れる万能型。通算527試合で打率2割4分5厘、9本塁打、61打点。08年に現役引退し、2軍のコーチを経て広報や営業を担当。今季は育成グループファームディレクター補佐。21年からはスカウトに就任。ヤクルトジュニアチームの監督も務めている。

拓大紅陵時代、度会基輝は父博文さんと試合後にガッチリ握手。右は弟の隆輝=2017年7月14日

拓大紅陵時代、度会基輝は父博文さんと試合後にガッチリ握手。右は弟の隆輝=2017年7月14日

★「思いきって投げるなよ」

親子3人、庭でのキャッチボール。見下ろしていた目線は、いつの間にか同じ高さになった。

野球を通じた父親と子どもの絆。思いを乗せたボールを投げた。

「久しぶりに、ちょっとキャッチボールしようぜ」

昨年末、声をかけたのは父親で元ヤクルトの度会博文さん(50=現ヤクルトアカデミーコーチ)。

手加減をして優しいボールを投げていたのは、もう10年以上前のことになる。

「僕が目が悪くなってきたのもあるかもしれないけど、おっかなくてね。あんまり思いきって投げるなよって。でっかくなったなぁと思いながらでした。月日が経つのは早いなという感じかな」

ユーティリーティープレーヤーとして、94年からヤクルトに15年在籍した父。

「やるからには、好きじゃないと続かない」という思いを2人の息子はしっかり受け継ぎ、アマ野球界で活躍している。

★JPアセット証券の基輝、エネオスの隆輝

長男の基輝内野手(23)は、拓大紅陵(千葉)から中央学院大に進み、主軸として昨秋の明治神宮大会の初優勝に貢献。大学日本一に輝き、今春から社会人野球のJPアセット証券へ加入した。

次男の隆輝内野手(19)は、中学時代にU15日本代表入り。佐倉シニアでジャイアンツカップを制すと、横浜(神奈川)では1年からベンチ入り。社会人野球の名門ENEOSに進み、1年目の昨年は、都市対抗野球で本塁打デビュー。2年目の今夏は、決勝戦の3ランを含む大会4本塁打で、9年ぶりの優勝に貢献。大会MVPにあたる橋戸賞に加え、打撃賞、若獅子賞と史上初の3冠に輝いた。

中央学院大時代の度会基輝=2019年

中央学院大時代の度会基輝=2019年

父の現役生活の終盤を支えてくれたのは、息子たちの存在だった。

「子ども2人の物心がつくくらいまでは、現役を頑張りたいと思いながらやっていたところもありました」と振り返る。

神宮球場にも、2軍の戸田球場でも、スタンドには家族の姿があった。

兄弟にとって「神宮球場や戸田に行けばお父さんがいる。テレビをつければお父さんが出ている」という状況。隆輝は「めちゃくちゃかっこよかったです」と笑顔で振り返る。

基輝が小学生、隆輝が幼稚園児の08年、父は15年間の現役生活に幕を下ろした。

引退試合では、おそろいのチェックシャツを着た2人が始球式でバッテリーを組んだ。最後に、最高の思い出ができた。

ENEOSに所属する度会隆輝=2021年11月

ENEOSに所属する度会隆輝=2021年11月

息子に野球をやってほしいという思いはあったが、口には出さなかった。

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