【家族の力・稲葉篤紀】ジャージー脱がされタバコ買わされ…野球に導かれ世界一監督へ

侍ジャパンを率い、東京五輪で金メダルを獲得した日本ハムの稲葉篤紀GM。講演などでいじめられた経験を語ることもあります。野球という競技に巡りあい、優しさの上に「強さ」の鎧をまとって、成長していく。ご両親の素直な語りです。(2012年5月2日掲載。所属、年齢などは当時)

プロ野球

プロ野球史上39人目の2000安打を達成した日本ハム稲葉篤紀外野手(39)には、少年時代、つらい過去があった。自分の力となり、支えとなったのが、家族であり、野球であった。試練を乗り越え、ファンに愛されるスーパースターへ。北名古屋市に住む父昌弘さん(66)母貞子さん(74)が、当時から現在を振り返った。

全力プレーでチームを引っ張り、さわやかにダイヤモンドを駆け抜ける。好機での勝負強さは折り紙付き。選手のかがみとして人望も厚い稲葉が、4月28日の楽天戦(Kスタ宮城)で通算2000安打を達成した。

他人思いの「泣き虫あっちゃん」

昌弘さん 2000本なんて、全然実感がなかったです。毎年毎年、「あぁ今年も1年できたね」ってそういう感じだから。いろんな人に感謝ですよね。1人の力でできるものじゃない。シニアの監督も、高校の監督も、大学でもそう。(ヤクルト時代の)野村さんも。指導してもらった監督さんたちが皆、真面目で人間性を大事にする方々だった。恵まれてますよ。

大記録達成の瞬間、敵味方関係なく、球場全体が感動の瞬間に酔いしれた。代名詞ともなっている「稲葉ジャンプ」。ファンは一挙手一投足に注目し、スタンドが揺れる。

中学生時代はシニアに所属し汗を流した

中学生時代はシニアに所属し汗を流した

そんな「まばゆい」大打者にも、実は「暗」の時があった。両親の記憶にも深く刻まれるつらい過去。少年時代に受けた、いじめだった。

今では想像もつかないが、「泣き虫あっちゃん」として有名だった。野球チームの練習でも、すぐに涙を流す少年だった。

昌弘さん 気が弱くて、ちょっと大きな声を出すとすぐ泣いていた。ボロボロ泣きながら、ホームランを打ったこともありましたね。シニアに入ったときも、監督から「稲葉はちょっと言うとすぐ泣く」って言われてましたから。

他人思いの心優しい性格で、悲しいとすぐに涙が?を伝う。それがアダとなり、クラスのいじめっ子に“標的”にされた。

修学旅行の写真1枚もない

悲劇は小学6年生の修学旅行で起きた。母貞子さんが旅行用の部屋着として買い与えた新しいジャージーを、身ぐるみはがされた。

貞子さん ウチには小学校の修学旅行の写真が1枚もないんです。買わなかった。用意したジャージーを、全部その子(いじめっ子)が着て写っているんですよ。篤紀にどうやって寝たの? って聞いたら、「洋服で寝た」って。本当にかわいそうだった。

中学に入ると、今度は上級生だ。「パン買ってこいよ」。いいように使われた。

貞子さん PTA会長さんに「あっちゃん、たばこ吸ってるって評判だよ」って言われて、びっくりした。(吸ってたのではなく)買いに行かされてたんです。学校を抜け出したのって聞いたら「うん」って。

そのとき初めて、父昌弘さんから“鉄拳”が飛んだ。手をあげたのは、後にも先にも1度きりだという。その上級生の家を訪問し、話し合いの場もつくった。怒鳴り込むのではなく、お互いの意思疎通を図った。

結果的に、これを境にいじめはなくなった。稲葉本人に「強くならなくては」という気持ちが強く芽生えた。

法大時代は4番打者として活躍

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