【尼崎キャバレー野球団〈4〉】南海→中日→大洋→春美…社交ダンス好きの紳士な左腕

商都・大阪と港町・神戸に挟まれた庶民の街、尼崎。その昔、駅前商店街にあったキャバレー野球団の物語。5回連載です。(2019年6月28日掲載。所属、年齢などは当時)

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通算45勝62敗 丸山二三雄

華やかな店内に入って、その姿をみとめた酔客が声をかける。

「お、南海の丸山やないか」

プロ野球・南海で活躍した丸山二三雄さんは、元チームメートと連れだって、しばしばキャバレー春美のボックス席で飲んでいた。

細身でダンディー、社交ダンスをたしなむ丸山さんは、ホステスさんによくもてた。野球好きで知られる春美の社長も、有名選手の来店をことのほか歓迎したという。

丸山さんは1925年(大14)生まれ。大阪・京阪商から43年、南海に入団。プロ野球再開の46年には25勝を挙げた。

49年、中日へ移籍し、51年には大洋(現DeNA)へ。同年、プロ通算45勝62敗の成績を残して引退した。

どういった経緯があったか不明だが、52年、創設とともに春美野球部に入団した。

肩を痛め、往年の力は衰えていたとはいえ、左腕から繰り出すキレのいい変化球と、直球を速く見せる技術を持っていた。年ごとにメンバーが入れ替わる中、一塁や外野も守って、投打の主力としてプレーした。春美は紛れもなく丸山さんのチームだった。

南海ホークスの丸山二三雄投手=1947年

南海ホークスの丸山二三雄投手=1947年

「尼崎? キャバレー? さぁ、聞いたことがありません」と、丸山さんの1人娘、美和子さんは言う。

「私が物心ついたころ、父は、大阪・心斎橋で、住まいを兼ねた小料理屋を営んでいました。白衣で板場に立つ父の姿を覚えています。元プロ野球の選手だと知ってはいましたが、自宅で野球の話はほとんどしませんでした」