「打倒早稲田」と書かれた紙を踏み出陣―高田繁/東京6大学を語ろう〈3〉【明大編】

穏やかな空気の中に忍ばせる、芯の強さと目の力。高田繁氏の源流は明大時代。「御大」との日々にありました。(2015年9月10日掲載。所属、年齢などは当時。敬称略)

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高田繁(70=現DeNAゼネラルマネジャー)は明大1年秋からレギュラーをつかみ、東京6大学で127安打を積み上げた。野球人としてだけでなく、社会人としての礎となったと振り返る大学時代。「御大」と呼ばれた名物監督、故島岡吉郎と歩んだ4年間だった。

◆高田繁(たかだ・しげる)1945年(昭20)7月24日、大阪府出身。61年、浪商(現大体大浪商)1年で夏の甲子園優勝。明大ではリーグ歴代2位の127安打、同1位の7季連続ベストナインを受賞。リーグ通算打率は3割3分1厘。巨人では主力としてV9に貢献。引退後は日本ハム、ヤクルトで監督、DeNAでGMと歴任した。

夜中1時。明大野球部合宿所の非常ベルが鳴る。響き渡る「起きろ~!」の怒声。1~4年生までの全員がパンツ一丁で集合し、グラウンドの神様に正座して謝罪する。

島岡の逸話を、高田は苦笑いを浮かべながら振り返った。

「本当の話なんだよ。御大は試合に負けるとカリカリして寝られないからね。たたき起こされて、『俺の言う通りやれ ! 』って、自分の額をグラウンドにつけるわけだよ。みんな同じようにやる。そして『自分のポジションでグラウンドの神様に謝ってこい ! 』って」

練習中のカミナリはほとんどなかった島岡だが、勝敗へのこだわりはすさまじかった。特に「早慶への対抗意識はものすごかった」。

早慶との試合は、玄関に敷かれた「打倒早稲田」「打倒慶応」と書かれた紙を踏みつけて出陣。負ければ体育館で深夜までバント練習。ときには「今日は出掛けの校歌が元気ないから負けたんだ」と難癖? で怒鳴られた。

逆に勝てば天国。3、4年生は新宿のビアガーデンに連れて行き、1、2年生は合宿所に近所の中華料理店の主人を呼んで、腹いっぱい食べさせてくれた。

明大野球部の礎を築いた島岡吉郎監督=1953年3月27日、東京・調布の明大グラウンド

明大野球部の礎を築いた島岡吉郎監督=1953年3月27日、東京・調布の明大グラウンド

「自分のことは自分でやれ」が、島岡の教え方だった。