長嶋茂雄が「つきあえ」と誘う粋人・片岡宏雄/東京6大学を語ろう〈4〉【立大編】
東京6大学の中で、他大学と少し違うにおいを感じるのは自分だけではないでしょう。立教大学の黄金時代に主力を張った、片岡宏雄さん(故人)が回顧しました。(2015年9月11日掲載。年齢、所属などは当時)
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立大黄金時代の立役者
下馬評は低いチームだった。だが、まとまっていた。「3羽がらすがいなくなった立教は弱い」。そう言われたくなかったからだ。
新チームとして始動する際のミーティングで「好きなことを何か我慢して、悔いのないようにやろう」という話になった。
決してムキになったわけではないが「よし、オレはたばこをやめる」と片岡は言った。「できるわけがない。そんなことできたら、銀座を逆立ちして歩いてやる」と冷やかされても、風通しのいい、肩の力の抜けた雰囲気が、この新チームの特徴だった。
仲間から、絶対に不可能だと思われた禁煙をこの年の片岡は貫いた。その効果もあったのか、僅差の試合ばかりだったが負けなかった。
「今年の甲子園の早実みたいな感じだったかもしれない。あれよあれよという間にね。そういえば銀座を逆立ちは、してもらってないなあ」。全勝優勝の喜びが、約束をほごにした。
◆片岡宏雄(かたおか・ひろお)1936年(昭11)6月15日、大阪府生まれ。53年に浪華商(現大体大浪商)の捕手としてセンバツ準優勝。59年に中日新聞の出向社員として中日に入団。61年に国鉄に移籍し、64年に現役を引退し産経新聞などで記者を務め、72年からヤクルトのスカウトやコーチを歴任。若松勉、古田敦也らをスカウトした。21年12月、老衰のため85歳で死去。
片岡が立大に入学したのは、砂押監督の排斥運動があった55年だ。1年春から試合に使ってもらった。理由は卓越した捕球技術だった。
浪華商時代から、鉛の球を捕球する練習を続けていた。後にプロ入り後、400勝投手の金田正一から「それだけは国宝級や」と褒められた。「オレは球を殺せた。手首の使い方にコツがあるんだ。素手でも捕球できたと思う」。すぐに、大エース杉浦の正妻として、なくてはならない存在になった。
