「腹を切りたい」で無期限謹慎…3度目復帰の70歳にブレなし「彼らは褒められすぎ」

近年、あらゆるスポーツで問題になる「体罰」。開星(島根)の野々村直通監督(70)はこの捉え方に警鐘を鳴らします。3度目の復帰を経ても、高校野球界への考え方は変わらず「アツい」まま。甲子園に戻ってくる姿を早く見たい!

高校野球

「ヤクザ監督」は健在だった。開星(島根)の野々村直通監督(70)が復帰3度目の夏を迎える。70歳手前にして異例ともいえる8年ぶりのグラウンド復帰。現状の高校野球、教育現場をどう感じているのか。口調は当時と変わらず、熱を帯びていた。

■バント実演で大転倒

例の舌鋒(ぜっぽう)を期待して対面すると、思わぬ弱音から始まった。

「こっちの手は腫れ上がって、こっちは血が止まらない。まあ情けない…。子どもに醜態を見せましたよ。いつも偉そうにしているのに、ちょっとバントしただけで転ぶんかと」

取材前日の練習中のこと。選手の前でプッシュバントを実演してみせた。春の大会が終わり、いよいよ夏に向かっていく時期だ。

「みんな集まれ、とラインを引かせて、俺はプッシュバントうまかったんだぞ、とね。打つんじゃなくて、押すんだぞと説明しながら」

二塁手の方向に足を踏み出しながらバットを押し出す。ボールを強く当てては1歩、2歩。何度も繰り返すと、息が切れてきた。

「ハーハー言っていたら、選手たちが笑うから、俺はもう今年71だぞ、おじいちゃんを笑うなよ、と言ったんですよ」

バントでケガをした手を見せる=2022年5月

バントでケガをした手を見せる=2022年5月

意地になってバントを続けていると、ついに足がもつれた。肩から派手に倒れて、両手をついた。

猛烈な痛みに耐えながら「おまえら笑ったな!」と照れ隠しで言うと、今度は誰も笑っていなかった。

「先生、血が出ていますよ」と本気で心配してきた。老将はそれでも、最高のお手本を見せるまでプッシュバントを続けた。

■「山陰のピカソ」満喫 かたくなに拒否

体当たりで選手と向き合う姿は昔と何も変わらない。熱血監督はこうして、孫のような選手たちと信頼関係を築いている。

20年3月、8年ぶりに監督に復帰した。前監督の体制を一新するため、学校に強く要請された。

すっかり野球のグラウンドからは離れ、自身のギャラリーで絵画などの仕事を請け負っていた。

広島大で油絵を専攻し、もとの専門は美術科教諭。「山陰のピカソ」とも呼ばれた。得意の水彩画も思う存分書ける、悠々自適の生活に満足していた。

「山陰のピカソ」野々村監督から贈られた色紙を手にするロッテ育成3位の山本大斗=2021年1月(代表撮影)

「山陰のピカソ」野々村監督から贈られた色紙を手にするロッテ育成3位の山本大斗=2021年1月(代表撮影)

今さら、また野球の監督なんて。かたくなに拒否した。総監督や相談役なら…と粘ったが「あなたしかいないんです」。

次の監督への「つなぎ」という条件でついに折れた。

■県ベスト8「悔しくて眠れない」

本当につなぎのつもりだったが、今は違う。

開星を再び強くするために、腹をくくった。地元の生徒を中心にチームを作りたい理想がある。

腰かけの監督と思われると有望な選手はまず、開星を選んでくれない。「3年後の進路も全力を尽くします。私は倒れるまでやりますので」と相手側に伝えるようになった。

昨年から近隣の好選手たちが続々と、開星の門をたたいてくれた。

表情は柔和だが、情熱は燃えたぎっている。甲子園への欲を聞くと「ありますよ」と即答した。

「春に負けて、悔しくて眠れない。俺は何をしとるんやと」。この春は県ベスト8で敗退した。

「やるからには甲子園に連れていく。これからちょっと楽しみですよ」。自信をチラつかせた。

■あれから12年「本音ですよ」

あの腹切り発言から12年が経った。10年のセンバツで21世紀枠の向陽(和歌山)に敗れた。

試合後、しばしの沈黙のあと「末代までの恥。腹を切りたい」と発言。

物議をかもし、辞任に追い込まれるまでに発展した。野々村監督の代名詞とも言える“事件”だ。

「確かに言わなくてもいい、乱暴な発言だったかもしれない。でもあれは俺の本音ですよ」と、今もブレることはない。

報道陣はこぞって、向陽の宿舎にコメント取りに走った。あまり表には出なかった相手監督の言葉を、野々村監督は人づてに聞いたという。「何とも思っていませんよ。私が野々村さんの立場なら同じ気持ちです。絶対負けたらいかんという重圧と戦っているのでしょう」。敵将の言葉には救われた。

向陽に敗れ、スタンドへのあいさつの後ベンチへ戻る野々村監督(右端)=2010年3月

向陽に敗れ、スタンドへのあいさつの後ベンチへ戻る野々村監督(右端)=2010年3月

大会後、待っていたのは無期限の謹慎。学校の名を汚したと責められ、PTAからも辞任勧告された。

教員でありながらグラウンドに近づくことも禁じられた。「犯罪者のような」扱いだった。

だが、復帰を求める署名運動が起こり、1年後に復帰を果たした。その1年後の定年に合わせて退職した。

「学校のために一生懸命、頑張ってきた。復帰して、また甲子園に出られたし、学校にも未練はない。もう野球はやり終えたと思っていました」

■サングラスに羽織はかま

8年後の再復帰は夢にも思っていなかった。

厳しい指導者として知られていた。甲子園の抽選会にはサングラスに羽織はかまで登場。その風貌と、忌憚(きたん)ない口ぶりから「ヤクザ監督」とも呼ばれた。

組み合わせ抽選会にはかま姿で現れる=2011年8月

組み合わせ抽選会にはかま姿で現れる=2011年8月

今も厳しさは変わらないが、中身は少し変わった。「当然ながら手を出すことは一切しません」。

信念として変わらないのは「子どものため」の1点だけ。成長させるためなら、エネルギーは惜しまない。

褒めて伸ばすことの難しさを感じているという。対角にある「しかる」意味がなおざりになっていないかと思う。

最近、練習試合で捕逸した捕手を厳しく戒めた。