甲子園史上最大のアイドル狂騒曲「帰ってきたら世界が変わってた」/荒木大輔〈1〉

甲子園といえば…「野球の国から高校野球編 追憶シリーズ」で好評を博した、早実・荒木大輔の歩みを10回連載で。40年以上前、モノクロームの写真に詰まる熱。いつも自然体で構え、万人に愛された器の大きさ。(2017年7月13日掲載。所属、年齢などは当時。敬称略)

高校野球

全国高校野球選手権大会が100回大会を迎える2018年夏までの長期連載「野球の国から 高校野球編」。元球児の高校時代に迫る「追憶シリーズ」の第10弾は、荒木大輔氏(53)です。早実(東京)の1年生エースとして80年夏に準優勝すると、3年夏まで5季連続で甲子園出場を果たした甲子園史上最大のアイドル。甘いマスクで“大ちゃんフィーバー"を巻き起こした3年間を、全10回でお送りします。

◆荒木大輔(あらき・だいすけ)1964年(昭39)5月6日、東京都生まれ。調布リトル時代にエースとして世界大会優勝。早実1年の80年夏、甲子園で1回戦から5試合中4完封、44回1/3連続無失点で決勝進出。決勝は愛甲投手の横浜に敗れたが準優勝に輝き、その後も小沢章一内野手らと5季連続で甲子園出場。甲子園通算12勝5敗。82年ドラフト1位でヤクルトに入団。86年から2年連続で開幕投手を務め、横浜に移籍した96年に引退。プロ通算180試合で39勝49敗2セーブ、防御率4・80。04~07年に西武コーチ、08~13年にヤクルトコーチ。現在は評論家。プロ現役時代は179センチ、79キロ。右投げ右打ち。

76年9月、リトルリーグ世界選手権で優勝し帰国した、左から崎山泰三主将、津村潔投手、荒木大輔投手

76年9月、リトルリーグ世界選手権で優勝し帰国した、左から崎山泰三主将、津村潔投手、荒木大輔投手

★聖子、明菜、キョンキョン…黄金期に入学

ピンク・レディーが解散し、山口百恵が芸能界引退を表明した80年、レジェンドたちと入れ替わるようにトップアイドル松田聖子が登場した。小泉今日子、中森明菜…のちにアイドル黄金期と呼ばれる80年代。時代はアイドル文化に熱狂していた。

その年の4月、荒木は早実に入学する。

高校3年間で、5季連続甲子園に出場。残した成績は17試合の登板で、12勝5敗。エースとして、全試合に先発し「5敗」。これは、追い付かれることはあっても、一生抜かれることがない、荒木が持つ甲子園最多黒星記録だ。

「誇らしくはないよ。そりゃ1回ぐらいは優勝したかった。桑田みたいに3敗とか」

「KKコンビ」で5季連続甲子園出場したPL学園(大阪)桑田真澄は、2度優勝したから3敗(20勝)。一方の荒木は、全試合で責任投手になった。勝っても負けても、早実の投手は荒木だった。そんな活躍が、時代の熱狂と重なった。

早実卒業式 早実・荒木大輔の卒業式に集まったファン=1983年3月15日

早実卒業式 早実・荒木大輔の卒業式に集まったファン=1983年3月15日

「全試合で勝ち負けがついたのはいいよ。エースという風に見てもらって。今でも昔の仲間と会ったら、その話になるから」

★新生児「大輔」8年連続1位

仲間との3年間。早実のグラウンド、遠征先、神宮、甲子園…。いつも周囲は女性ファンでいっぱいだった。「大輔」の名は、新生児の名前ランキングで8年連続1位になった。80年に生まれた松坂大輔は、荒木から名前をもらった。甲子園が生んだ史上最大のアイドル。空前の“大ちゃんフィーバー"は、1年夏の練習中、先輩に起きたアクシデントから始まった。

荒木は、調布リトルに所属していた小学6年時に、米国で開催された世界選手権で世界一に輝いた。プエルトリコ戦ではノーヒットノーランを達成。調布シニアを経て、鳴り物入りで早実に入学した。4歳上の兄健二さんは、早実で春夏4度甲子園に出場。進学は自然な流れだった。

のちにバッテリーを組む同期生の松本達夫は「最初見た時は化け物ですよ。体が違う。同級生であって、同級生ではない感じ。風格ですね。醸し出す雰囲気が大きかった」と、飛び抜けた存在感を漂わせていた。

82年8月、警備員によって花道がつくられ、警備員にガードされながらバスへと走る早実・荒木

82年8月、警備員によって花道がつくられ、警備員にガードされながらバスへと走る早実・荒木

ただ荒木自身に、1年夏から登板する意識はなかった。入学直後の春季東京大会は、三塁手として1イニング出場した。

「自分はサードだったし。ピッチャーは2年生にエースがいて、3年生にもいたから。投げるイメージはなかった」

★先輩のアクシデント

そして迎えた1年夏の東東京大会。直前で2年生エースの足に打撃マシンのボールが直撃してケガをした。3年生投手は虫垂炎の手術を受けて、調整は間に合わない。背番号「16」の3番手投手だった荒木に、突然出番がやってきた。

「誰がケガしたとかではなくて、出られないと思っていた試合で投げられることがうれしかった。試合状況なんて何も覚えてない」

16歳のきゃしゃな少年は、直球とカーブのコンビネーションで、その座を1人で守り抜いた。4回戦から準決勝まで3試合連続完封。準決勝で勝利した帝京は、元ヤクルト伊東昭光をエースに擁し、春のセンバツ準優勝校だった。

「本当に無我夢中。自分で計算して投げる感じじゃなかった。ダメ元でうれしくて投げているだけだから。キャッチャーから出されたサインのままだった」

3年生捕手のサインに一切首を振らず、無心で投げ続ける。決勝は二松学舎大付に10-4で勝利して甲子園出場を決めた。

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東京都出身。2000年入社。
写真部、盛岡支局を経て、05年11月から野球部に所属。担当歴はロッテ―アマ野球―ヤクルト―アマ野球―NPB―遊軍―巨人。
直近は原監督が復帰した19年から2年間巨人を担当し、21年から野球部デスク。