2時間9分、111球で一変した人生…ドーナツ買いに行けなくなった/荒木大輔〈2〉
背番号「11」の早実1年生・荒木大輔。今で言うところの「ジャイアントキリング」を果たし、人生が変わった瞬間のダイナミズムを感じてください。(2017年7月14日掲載。所属、年齢などは当時。敬称略)
高校野球
★大阪・北陽を1安打完封
80年8月11日、大会4日目の第2試合、背番号「11」の1年生エース、荒木を擁した早実(東東京)は、北陽(大阪)戦に臨んだ。
試合前、優勝候補の北陽のシートノックを見て、荒木は絶望していた。
「すごかった。肩も強いし、大きく見える。体も。それは覚えている。そこから、マウンドに行ってからが全然覚えていない」
灼熱(しゃくねつ)の甲子園。気が付くとスコアボードに「0」が並んでいた。被安打も「0」だった。
「5回か6回か、気が付いたら中盤ぐらいだった。緊張して、頭の中は真っ白。記憶がない。どういう風に投げたとか、どう打ち取ったとか、まったく覚えていない。天気が良かったのは覚えているけど、暑さも全然覚えてない」
クールな表情でテンポよく投げ込む1年生。当時のスピードは「130キロ後半ぐらいだったと思う」。外角に伸びる直球は、ナチュラルにシュートして、打ち気な打者の芯を外す。大きく割れるカーブを織り交ぜ、凡打の山を築いた。
★二ゴロの山
6回無死から三塁内野安打を許すまで、無安打投球。5回までの15アウトの中で、二塁ゴロが7個あった。二塁には、同じ1年生でレギュラーをつかんだ守備の名手、小沢章一(享年41)がいた。打たせて取る、荒木本来の投球だった。
4万4000人の観衆が、1年生の投球に引き込まれていく。結局内野安打1本に抑えて、9回111球を投げ、4奪三振完封。6-0で優勝候補を破り、聖地は異様な興奮に包まれた。
「ただ一生懸命投げていただけだから。キャッチャーのサインのまま。いろいろなことが、信じられないまま進んじゃっている。甲子園に来た時点で信じられないのに、それが勝ってしまって。まして完封…」

東京都出身。2000年入社。
写真部、盛岡支局を経て、05年11月から野球部に所属。担当歴はロッテ―アマ野球―ヤクルト―アマ野球―NPB―遊軍―巨人。
直近は原監督が復帰した19年から2年間巨人を担当し、21年から野球部デスク。