一晩中甲子園のマウンドにいるような感覚…16歳の無謀な連投/荒木大輔〈3〉
早実・荒木大輔と甲子園。球数制限という概念がまるでなかった42年前、孤高のエースは、朝も夜も関係なくマウンドに立ち続けます。(2017年7月15日掲載。所属、年齢などは当時。敬称略)
高校野球
★バックドア
甲子園での戦いを続けていくうちに、1年生エースの荒木はある感覚をつかんでいた。当時の直球は、ナチュラルにシュートして、沈んだ。今で言うツーシームに近い軌道だった。
「今はバックドアとか騒いでいるけど、オレは投げていたから」と笑う。シュート回転する直球を、自在に操る感覚。直球は130キロ台中盤から後半で、変化球はカーブだけ。1年生が全国の強打者を抑えるには、武器が必要だった。
「どの辺から投げたらストライクゾーンに入ってくるとか、インサイドも、どの辺から投げたらボールになるけど、どの辺ならインサイドに決まるとかという感覚があった。それが1年生の夏の甲子園の時に、何となく試合中に分かった」
東東京大会や、1安打完封した甲子園1回戦の北陽(大阪)戦ではなかった感覚。勝ち抜く度に連戦が続く甲子園。「何となくこういう風に投げたら、試合ってあんまり点を取られないで進んでいくんだなとか。セカンドゴロがすごく多かった。外にそのボールを投げておけば、ボールが少し沈むから、バッターがボールの上っ面をたたいてゴロになるとか、打ってくれる、というのがあった」。
★第4試合→第1試合
直球の握りのまま、指先の感覚でボールを動かした。「本当に強いバッターには、そういうことしないで一生懸命投げた。クリーンアップには使わない。下位打線は、真ん中辺りにシュート回転のボールを投げた」と、少ない球数で打ち取る術を身に付けた。
3回戦で札幌商(南北海道)を4安打完封すると、翌日に行われた準々決勝の興南(沖縄)戦は、第1試合だった。
「札幌商戦はナイターで、終わって宿舎に帰って、次の日の第1試合、朝一番でもうマウンドにいた。(午後)7時ぐらいまでやって、次の日の朝だから。ずっとマウンドにいる感じだった」
実際は、札幌商戦の終了は午後4時44分。取材を終え、宿舎に戻ったのは恐らく午後6時過ぎだっただろう。だが荒木の記憶では、一晩中甲子園のマウンドにいたような感覚だった。
★「タイブレーク賛成」
それほど投げ続けた。投手分業制の時代ではない。特に早実は伝統的にエースにこだわるチームだった。
「高校生だからできるんだよ。その時代だから。バテた記憶はないし食欲も減らない。試合開始の時に肩が張ることはあるけど、投げているうちに何ともなくなる。やっぱり昔の子なんだ」

東京都出身。2000年入社。
写真部、盛岡支局を経て、05年11月から野球部に所属。担当歴はロッテ―アマ野球―ヤクルト―アマ野球―NPB―遊軍―巨人。
直近は原監督が復帰した19年から2年間巨人を担当し、21年から野球部デスク。