鳴りやまない電話「おふくろが番号変えた」手紙は住所なしでも配達/荒木大輔〈5〉
夏の甲子園で準優勝して東京に戻ると…荒木大輔の生活は一変していました。今から42年前の昭和55年、牧歌的な時代背景もフィーバーに拍車をかけます。(2017年7月17日掲載。所属、年齢などは当時。敬称略)
高校野球
★吉祥寺~早稲田 仲間が東西線を警護
1年生エースとして初めての甲子園で準優勝し、東京に戻った荒木の生活は一変した。
自宅の電話は鳴り続け、学校にはファンレターが入った段ボール箱の山ができた。当時の電話帳には、自宅の住所や電話番号が記され、個人情報などという概念はなかった時代。
「おふくろが電話番号変えたって言っていた。昼間は家にいないから分からないけど、日中から電話がすごかったみたい」
「東京都 荒木大輔様」と書かれた住所なしのファンレターも自宅に届くようになった。全国の郵便局員も「荒木大輔」の名前で、すべてを理解する。高校野球界に誕生したアイドルは、異常とも言えるフィーバーの真っただ中にいた。
荒木は当時、自宅から吉祥寺経由で、東西線の早稲田駅にある学校まで通っていた。「みんな駅で待っていたりして。電車に乗るのが大変だった」と混乱は早朝から続いた。
授業後は、武蔵関にあったグラウンドまで再び電車で移動する日々。自宅までついて来るファンに危険を感じて、自転車で猛スピードを出して振り切ったこともある。常に女性ファンに囲まれる環境が続いていた。
動き出したのは仲間だった。
「そしたら、すぐだよ。お願いしてないのに、同級生が同じ電車に乗るようになった。野球部だけじゃなくて、ラグビー部とか。5~6人が周りに立って、必ず一緒に乗ってくれた。あいつらがいたから、囲まれるとかはなくなった」
屈強な男たちが、荒木の周りを常に囲んで守った。
★「まったく嫌みがない」
後にバッテリーを組んだ松本達夫は「ごく普通のシャイな人間なんですよ。口数は多くないけど、自分の考えをしっかりと持っていて。まったく嫌みがない。非常に純粋な人間でしたね」と言う。
荒木は、レギュラーメンバーの練習に参加後も、帰る前は必ず1年生が雑用をこなすグラウンド脇の小屋に寄った。

東京都出身。2000年入社。
写真部、盛岡支局を経て、05年11月から野球部に所属。担当歴はロッテ―アマ野球―ヤクルト―アマ野球―NPB―遊軍―巨人。
直近は原監督が復帰した19年から2年間巨人を担当し、21年から野球部デスク。