【オリックス週間〈2〉佐野皓大】「41」を背負う電光石火…イップスが授けた覚悟
オリックス佐野皓大外野手の書き下ろしです。現在の球界で、最もスリリングな走塁技術を誇る万能型。何かにつまづいている人。何かを心配している人…心の中のプラットホームに「ストーリーズ」をお届けします。
プロ野球
大谷翔平のように特別な能力で二刀流の道を突き進む者がいれば、プロ野球の世界で生き残るために「変化」していく者もいる。オリックス佐野皓大外野手(25)は「投手」として入団したが、イップスが原因で野手に転向。さらに両打ち挑戦、内外野を守るユーティリティープレーヤーとして1軍定着を果たした。佐野皓が「進化論」の経緯を明かした。
★最速152キロの本格派 大分高から14年3位
佐野皓は、最速152キロを計測する右の本格派だった。14年ドラフト3位で「投手」として入団。3年目の17年オフに転機を迎える。投手人生のマウンドを降りた。
「イップスでしたね…」
現役選手の、衝撃の告白だった。
「全然、投げられなくなったんです。もう、プロ生活は無理だろうなと感じてました。マウンドに立つと、どうしても投げられなかった。気持ち悪い感じがして…。これはダメだと、自分でもわかってました」
忘れもしない。17年5月21日のウエスタン・リーグ広島戦(三原)だった。
「ブルペンの後ろにネットが1枚あったんですけど、1回、暴投してから…。まともに投げられなくなりました」
球が上ずったり、意図せずバウンドしたり…。ストライクゾーンに投じることが、できなくなった。
「あ、終わったなと。(投手としての)手応えが、ちょっとずつあったんですけど、急にイップスが来たという感じです」
1度は、プロ野球選手との別れも覚悟した。しかし天性の脚力とバットコントールが自らを救うことになる。
「気分転換で、打撃練習してみたんです。そのとき、本当にいろんな人が心配してくれていた。ダッシュのタイムを計っているときも、だいたい1番でした」
バットを握ると、白球を追う楽しさを思い出した。
★17年7月 思いもよらない打診
小学4年で野球を始めた佐野皓は、地元・大分の「佐伯リトルヤンキース」に入部。内野手でスタートした野球人生は、次第に投手へと活躍の場を移った。
「小学6年では捕手もしていましたよ」と笑うように、万能タイプの少年だった。今も昔も変わらないのは「だいたい1番の組でしたね」と語る、足の速さだった。
大分高に進学すると、1年秋にはエースの座を奪った。主に「1番投手」。ときには「4番投手」として、躍動した。
14年7月24日。決勝で明豊を延長10回6-5と破り、悲願の甲子園初出場を決めた。春夏通じて、初の快挙に「プロに行ける自信は、内心ありました」と明かす。
運命のドラフト指名は、オリックス3位で呼ばれた。
「連絡が来たときは頭が真っ白になりましたね。今までにない感情がありました」
感謝の気持ちを込めてスタートした。3年で1度も1軍マウンドに立つことなく、投手人生が終わるとは知らなかった。
イップスに苦しみ、あきらめかけた17年7月。容赦ない夏の日差しの中で、思いもよらぬ打診があった。

1994生まれ。2017年4月日刊スポーツ入社。
3年間の阪神担当(虎番)経て2020年からオリックス担当。2021年は、悲願の25年ぶりVを熱烈取材。記者コラム「四季オリオリ」を投稿中。オリックス情報満載の公式ツイッターのアカウントは@nikkan_mashiba