【土橋正幸さんを悼む】鮮魚店→フランス座→東映162勝→監督→プロ野球ニュース

プロ野球ニュースの土橋正幸さんを見て、幼心に「迫力あるなぁ」と強~く思いました。僕だけじゃなかったんですね。その球歴がド迫力です。ちぎっては投げを地で行った…容易に想像できます。(2013年8月27日掲載。所属、年齢などは当時。文中敬称略)

プロ野球

東映(現日本ハム)で投手として活躍し、ヤクルトや日本ハムで監督を務めた土橋正幸(どばし・まさゆき)氏が、2013年8月24日午後10時56分、筋萎縮性側索硬化症(ルー・ゲーリッグ病)のため東京都内の病院で死去した。77歳だった。軟式チームでプレーした同氏は55年、入団テストを経て東映入り。58年に日本記録(当時)の9連続三振、61年には30勝を挙げ、62年には日本シリーズでMVPを獲得。引退後も指導者として人材を輩出するなど、球界に数々の功績を残した。

東映時代、南海戦で力投=1966年4月

東映時代、南海戦で力投=1966年4月

◆土橋正幸(どばし・まさゆき)1935年(昭10)12月5日、東京都生まれ。日本橋高を卒業後、家業の鮮魚店で働きながら草野球で活躍。54年にフランス座のチームに助っ人で参加し、軟式の大会で優勝。入団テストに合格して東映(現日本ハム)入り。58年5月31日西鉄戦で9者連続三振のプロ野球タイ記録、1試合16奪三振のプロ野球記録(当時)を樹立。61年の30勝、防御率1・90はともにリーグ2位。62年は17勝でリーグ優勝、チーム初の日本一に貢献し、日本シリーズMVP。67年引退。東映コーチを経て、73年後期に日拓監督。84年に武上監督、中西監督代行の後を受け投手コーチからヤクルト監督に就任。評論家を経て92年日本ハム監督。01年マスターズリーグ東京監督就任。沢村賞選考委員長も務めた。現役時代は178センチ、78キロ。右投げ右打ち。

【悼む】江戸っ子投法 最強・西鉄を手玉

ずばり江戸っ子かたぎの人だった。ちぎっては投げ、ちぎっては投げるテンポのよい投球。とくに西鉄ライオンズに強かった。

当時最強といわれた強烈打線─大下、中西の初代ON、豊田、関口、高倉に、低めの快速球を決め、三振に仕留める。それは権威をおそれず挑むのにも似ていた。やはり江戸っ子である。

生き方もストレート。

10年選手のボーナス交渉で、彼なりの闘争を考えていたが、父親に「銭金でもめるのはみっともない」とたしなめられ、さっと完了した。

もちろん目的額にはほど遠かった。「でも親父にいわれちゃあね」。長幼序列、義理人情に厚かった。

シーズン最終戦に勝利し、ヤクルトファンの声援に帽子を取って応える=1986年10月16日

シーズン最終戦に勝利し、ヤクルトファンの声援に帽子を取って応える=1986年10月16日