池田にめった打ちされ…「甲子園って残酷」「早く終わりたかった」/荒木大輔〈9〉
早実・荒木大輔は、5季連続で甲子園のマウンドに立ちました。最後の夏、準々決勝。「やまびこ打線」と恐れられた、徳島の池田高校と対戦します。(2017年7月22日掲載。所属、年齢などは当時。敬称略)
高校野球
★5季連続の聖地
高校生にとって最大の勝負となる3年夏、荒木は再び甲子園の切符を勝ち取った。
1年夏から5季連続甲子園出場の偉業。優勝候補として聖地に戻った早実は、順調に勝ち進んだ。
1回戦の宇治(京都)戦で、荒木は甲子園初本塁打を放った。大先輩のOB、王貞治(ソフトバンク会長)から贈られたバットで、ラッキーゾーンにたたき込んだ。2回戦の星稜(石川)戦、3回戦の東海大甲府(山梨)戦で連続完投し、準々決勝に駒を進めた。
相手は「やまびこ打線」の優勝候補、池田(徳島)。2回戦で日大二(西東京)に4-3の接戦に持ち込まれるなど、打線の調子は上がらず、当時日大二より力があった早実にとって、恐れる相手ではないと士気は上がっていた。
ただ、荒木は「みんなすごい体だった。ユニホームがパツンパツン。打ってはないけど、しっかりと振っている。そういう怖さはあった」。82年8月18日、池田戦のプレーボールがかかる。
荒木は立ち上がりから、ボールの切れがなかった。連投の疲れか、1年から投げ続けた蓄積疲労なのか。試合開始直後、打席に立った池田の1番窪は「普通のピッチャーだと思った」と、後に早実ナインに語っている。
そして1死一塁から、3番江上に決め球カーブを右翼席に運ばれた。事前のデータで、江上はカーブが苦手だと分かっていた。
早実捕手の松本は「インコース寄りで、厳しくはないけど、甘いコースでもなかった。あのホームランで、これは勝てないと僕は思いました。ショックでした。カーブを打てない江上に、決め球のカーブを打たれてしまった」。
荒木がカーブを本塁打にされたのは、甲子園ではこの1本だけ。それほどの衝撃だった。
★蔦監督の執念
1日2時間の練習で甲子園に乗り込んだ早実とは対照的に、蔦監督(享年77)率いる池田は最新のウエートトレーニングを取り入れるなど、厳しい練習で体を鍛え上げていた。

東京都出身。2000年入社。
写真部、盛岡支局を経て、05年11月から野球部に所属。担当歴はロッテ―アマ野球―ヤクルト―アマ野球―NPB―遊軍―巨人。
直近は原監督が復帰した19年から2年間巨人を担当し、21年から野球部デスク。