いつかまたみんなで野球をやりたい…でも「池田はやめようぜ」/荒木大輔〈10〉
荒木大輔にとって高校野球とは? 原点の問いに対する答えは、昔も今も変わらない部活動の原点でした。10回連載の最終回。(2017年7月23日掲載。所属、年齢などは当時。敬称略)
高校野球
★被安打17 失点10
右翼の守備に就いていた荒木は、もう投げたくなかった。2番手で登板した石井丈裕が満塁本塁打を浴び、8回無死の場面のまま、2-11と池田(徳島)との差は広がっていた。
「監督にも、最後の甲子園をちゃんと見ておけと言われて」。バックスクリーン、アルプススタンド、超満員の景色を右翼から見渡していた。「マウンドに行きたくなかった。恐怖というより、もうどうやっても勝てない。勝てない相手に、何で投げないといけないんだというのがあった」。
ただ、仲間の感覚は違った。
捕手の松本達夫は「大輔は僕らのシンボルでしたから。最後マウンドに立っているのは、荒木であるべきだと。みんなの納得感が違う。高校3年間の、区切りを付けられる試合にしたかったですよね」。
荒木は再びマウンドに上がった。だが、1度気持ちが切れたボールは「やまびこ打線」には通用しない。再び5安打を浴びて3失点。松本は「ふてくされて、まったくサイン通り投げない。すっぽ抜けたボール投げたり。何で投げなきゃいけないんだっていうオーラが出てましたから。嫌でしょうがなかったんでしょうね」と感じていた。
それでも、最後は荒木がマウンドにいるべき。それが早実の野球だった。荒木は計17安打で10失点(自責9)。2-14で大敗し、涙を流すこともなく、高校野球が終わった。
大会後、全日本高校選抜の合宿に参加した荒木は、池田の選手から、投球時にクセがあったことを知らされた。グラブから出る手首の角度で、球種が分かったという。「何投げてもあれだけ芯でガンガン打たれて、その話を聞いたら、そうだったんだって思うでしょ」。プロ入り後も、打たれたのはクセのせいだった、そう信じ込んでいた。
★OB会 赤坂見附の居酒屋
53歳になった荒木は、今でも年に1度開催される早実OB会に参加している。
卒業後、初めてチームメートが集まったのは荒木が現役引退した96年だった。赤坂見附の居酒屋に15人ほどが集まって、慰労してくれた。06年に肝臓がんで亡くなった主将の小沢章一(享年41)もいた。
「オレ学校が好きだったのね。高校野球で一番思い出に残っているのは、甲子園の試合も当然そうなんだけど、みんなと一緒にばか騒ぎしたりとか、練習後に部室で遊んだりとか、そういうことがすごく印象に残っている」

東京都出身。2000年入社。
写真部、盛岡支局を経て、05年11月から野球部に所属。担当歴はロッテ―アマ野球―ヤクルト―アマ野球―NPB―遊軍―巨人。
直近は原監督が復帰した19年から2年間巨人を担当し、21年から野球部デスク。