戦中の大会に進軍ラッパが鳴り響き「勝って兜の緒を締めよ」/黎明期の高校野球〈5〉

戦時下の甲子園。白球を追う純な気持ちまでも、国威発揚の手段に利用されてしまいます。1942年(昭17)に行われた代替大会の貴重な証言を送ります。(2015年6月6日掲載。所属、年齢などは当時。敬称略)

高校野球

高校野球100周年の今夏、第97回全国高校野球選手権大会が行われる。大会数と合わない空白の年月。1941年から45年まで、第2次世界大戦により中止となった。その間、42年には朝日新聞社ではなく文部省(現文部科学省)が主催し「大日本学徒体育振興大会」の一競技として、甲子園で行われた。16校が参加し、徳島商が優勝を飾った。大会史には残らない、「幻の甲子園」とは。

★1942年「大日本学徒体育振興大会」

甲子園には、今と変わらない青空が広がっていた。

42年8月23日。開会式の入場行進は、進軍ラッパに合わせて行われ、スコアボードには「勝って兜の緒を締めよ」「戦ひ抜かう大東亜戦」の横断幕が掲げられた。

◆1942年の世相ミッドウェー海戦、ガダルカナルの戦いと戦況は悪化の一途をたどる。プロ野球は73勝27敗で巨人が優勝。水原茂がMVP。ムハマド・アリ、青木功が誕生。

徳島商の一塁手として活躍し、現在都内で暮らす梅本安則(88)は、当時のことを今でもはっきり覚えている。甲子園にはバットやグラブと一緒に、米を持参した。

「(監督に)1週間分、優勝戦までの米を持ってこいと言われました。配給の時代ですが、母にお願いして。宿に米がないから、それを炊いてもらいました」

前年の41年は大会中止になったが、戦意高揚を目的として文部省が主催。「大日本学徒体育振興大会」の開会式では、東条英機首相があいさつを行った。

★死球なし、ケガ以外の交代禁止

選手は「選士」と記され、ユニホームのローマ字表記は禁止。スタンドでは召集令状の呼び出しが続いた。ルールも軍事色が強まり、突撃精神に反すると「打者は投手の球をよけてはいけない」と死球はなし。選手交代もケガ以外禁止で、最後まで死力を尽くして戦い抜くことを求められた。

42年は4月に東京が初の空襲を受け、6月にはミッドウェー海戦で大敗。戦況は悪化の一途だったが、苦戦の情報は、国民には知らされなかった。梅本が当時の心境を思い起こした。

「戦争中ということは心得ていましたし、我々実際プレーした選手からしますと、あまりそういうことは気にならない。純粋に、夏の甲子園で、夏の中等野球を戦った、甲子園でプレーしたことが、かけがえのない思い出です」

1年間の大会中止を挟んでの復活に、甲子園は今と変わらない超満員で沸いた。

徳島商は、1回戦からすべて1点差で勝ち進み、決勝の平安中(現龍谷大平安)戦は、延長11回、押し出し四球でサヨナラ勝ちした。「何とも言えない満足感と同時に、疲れが出ました。戦い終わって、静かに夕日を見る。心が優しい気持ちになりましたね」。

東京都出身。2000年入社。
写真部、盛岡支局を経て、05年11月から野球部に所属。担当歴はロッテ―アマ野球―ヤクルト―アマ野球―NPB―遊軍―巨人。
直近は原監督が復帰した19年から2年間巨人を担当し、21年から野球部デスク。