【カープ週間〈3〉黒田博樹日米通算200勝】ヤンキースでも天秤にかからない広島愛

ヤンキースの高額な残留オファーを蹴り、広島へ。決め手はメジャー挑戦を決めた直後、広島市民球場の右翼席にたなびいた特大の横断幕でした。仲間やファンと、深い所で心を通わせることができる大投手。野茂英雄に次ぐ日米通算200勝を復刻します。ハイライト原稿後半のテンポが心地よい佳作。(2016年7月24日掲載。所属、年齢などは当時)

プロ野球

◆黒田博樹(くろだ・ひろき)1975年(昭50)2月10日生まれ、大阪府出身。上宮―専大を経て96年広島を逆指名しドラフト2位で入団。07年オフにFAでドジャース入り。09年開幕勝利。12年にヤンキース移籍。15年に広島復帰し16年引退。背番号15は広島の永久欠番となった。22年、野球殿堂入り。父一博氏(故人)は南海などで外野手、内野手としてプレー。現役時代は185センチ、93キロ、右投げ右打ち。

伝説の横断幕。ヤンキースを蹴って広島復帰の決め手となった=2006年10月14日

伝説の横断幕。ヤンキースを蹴って広島復帰の決め手となった=2006年10月14日

広島黒田博樹投手(41)が日米通算200勝を達成した。野茂英雄に次ぎ日本選手2人目。王手をかけてから2度足踏みして迎えた阪神17回戦(マツダスタジアム)で先発し、7回を5安打無失点。3回までに7点の大量援護にも恵まれ、メジャー7年を含めてプロ20年目で金字塔を成し遂げた。広島に男気(おとこぎ)復帰して2年目。25年ぶりリーグ優勝に向け、まだ白星を積み重ねる。

★野茂に次ぐ2人目「本当に感動」

115球目、代名詞でもあるツーシームで荒木にバットを振らせなかった。今季最多9個目の三振を奪い、7回無失点。勝利の瞬間を待った。史上2人目の偉業にも、黒田はいつもの黒田だった。

チームメートがおそろいTシャツで祝福し、満員のスタンドは誰も席を立たずに大歓声を送った。祝福ムードにも1人、チームを勝利に導いた安堵(あんど)感に浸っていた。

25年ぶりのリーグ優勝。仲間に胴上げされ涙=2016年9月10日

25年ぶりのリーグ優勝。仲間に胴上げされ涙=2016年9月10日

「一番はホッとしています。まだ実感はない。チームのために201勝を目指し、また明日から準備して全員で戦っていきたい。本当に最高のチームメートとファンの前で、最高のマツダスタジアムで節目の勝利を挙げられて本当に感動しています」

★開幕戦8失点「俺、もう野球やめます」

あの日、黒田は泣いていた。「俺、もう野球やめます」。

04年4月2日。2年連続で開幕投手を務めた夜、チーム関係者と食事の席で、口にした。泣き言のレベルではない。同日、味方に5点の援護をもらいながら、8失点の敗戦。常に強い責任感を持ってマウンドに上がる男の涙だった。