【カープ週間〈4〉松田元オーナー】25年ぶり優勝…巣立ったわが子が舞い戻る球団に

四半世紀ぶりにカープが優勝した暁に、松田オーナーから話を伺いました。同族経営のすごみを感じるのは、その経歴。2002年(平14)に現職となるまで、17年もオーナー代行を務めています。市民球団のルーツを守り、脈々と受け継がれる伝統の一端を送ります。(2016年9月11日掲載。所属、年齢などは当時)

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◆松田元(まつだ・はじめ)1951(昭26)年2月11日生まれ、広島県出身。広島東洋カープのオーナー。曽祖父はマツダ創業者でマツダ2代目社長の松田重次郎。祖父はマツダ3代目社長の松田恒次。父はマツダ4代目社長の松田耕平。広島大付高から慶大に進学。米国留学を経て77年に東洋工業(現マツダ)入社。83年に広島東洋カープの取締役、85年にオーナー代行となり、02年から現職。

最もグラウンドに近いオーナー=2012年9月25日

最もグラウンドに近いオーナー=2012年9月25日

フリーエージェント(FA)制度の導入、ドラフト制度の改革… 広島が優勝から遠ざかった24年間を語る上で欠かせない要素だ。前回優勝から2年後の93年ドラフトから逆指名制が導入され、アマチュアの有望選手は希望球団に入団できるようになった。同年オフからFA制も始まった。球界は自由競争の時代となり、財政に恵まれた球団の有利は明らかだった。広島は、制度に挑む闘いも強いられた。松田元オーナー(65)が苦闘の日々を振り返った。

「甘かったよ、実に」

25年ぶりの重みに話が及ぶと、松田オーナーは球団商品販売部の藤本雄太さんに目をやった。学生時代にバスケットボールに打ち込んだ青年は身長180センチ、体重78キロ。「あの子は25歳なんよ。生まれてから、あんなに育つんだから、すごい時間よの」。優勝に、そんなことを思った。長い闘いだった。

93年に逆指名が導入されたドラフト制度、93年オフから運用されるFA制度は、図らずも広島が優勝から遠ざかる時期と重なる。低迷の歴史を語る上で外せない出来事だろう。

だが、松田オーナーは「金銭面で恵まれているチームが勝つという風潮に一矢報いたかった」。常にチャレンジに燃えていた。それでも「甘かったよ。実に」と正直に笑う。志とは別の次元で、逆風となったのも事実だった。

目利きと育成に心血

ドラフトでは会議直前で指名を断られることもあった。FA制度では鍛え上げた主力選手の流出が続いた。10年オフに内川(ソフトバンク)の獲得に動くも失敗。12球団で唯一、獲得選手がいない。近年は認めているものの宣言残留もない。

被爆地、広島で産声を上げた球団は簡単にあきらめなかった。「少なくとも我々の精神として、認めたくないという気持ちがあった」。広島にしかない強みで重い扉をこじ開けた。