【野球部に入ろう!道具編〈7〉】金属バットから木製バットにたどり着くには

「野球部へ入ろう!道具編」の最終回です。木製バットにたどり着くために…取材を終えた記者が、金属バットの規定について提言します。(2016年2月8日掲載。所属、年齢などは当時)

その他野球

★900グラムの壁

野球を始める子どもを対象に、成長に合わせた道具選びを紹介してきた。SSK社の小林邦夫さん(55)は、「私自身、小さなころからもっと考えて、正しい知識を備えて野球をしてきたら良かったなぁ、と思いますね。今思えば長年、間違っていました。野球を始めたからには、ぜひ木製バットまでたどり着いてほしい」と優しく語る。

高野連が定める「高校野球用具の使用制限」を読むと、実に細かな規定が明記されている。

高校球児が当たる大きなカベは、「900グラム『以上』」という金属バットの規定だろう。甲子園では、グリップテープの巻き加減で1グラムでも軽ければ、はねられてしまう。

規制の歴史を頭に入れ、今の立ち位置を理解しよう。道具選びにもトレーニング面でも、損はない。

甲子園に金属バットが登場したのは、1974年の夏である。黎明(れいめい)期は950グラムほどだった。

メーカー各社は研究を重ね、金属の厚みを削っていく。極薄の「軽くて長いバット」を追い求め飛距離が伸びていく。飛距離の追求が弊害を生む。

★悲劇を越えて

山びこ打線の池田(徳島)、PL学園(大阪)なら清原&桑田のKKコンビ。当時の「キュイーン」という甲高い打球音を覚えている方も多いだろう。

難聴となる選手が出て、騒音問題にもなった。金属が薄すぎ、粉々に砕ける危険も話題になった。「消音バット」の規定が設けられたのは91年。星稜(石川)松井秀喜が2年生の時である。

当時ゴジラが使っていたバットは、今では非常に長い86センチのトップバランス。重さは850グラム前後が主流だった。

軽さの追求と選手の技術アップが加速し、悲劇が起きた。

超高速の打球が頭部を直撃し、死亡事故が起きた2001年に、現在の規定が設けられた。「重さ900グラム、長さ83~84センチ、ミドルバランス」。スイングスピード=飛距離の考え方が浸透し、今の球児が多く使っているバットだ。

元巨人監督の原辰徳氏(57)は、金属バットが採用された直後に高校時代を過ごした。「早くから重いバットを使うのは、いいこと。パワーを蓄えることが、野球人生の大きなプラスとなる」と言う。