【ヤクルト平成中期の名物球団社長・多菊善和さん】舌禍でも記者を遠ざけない健啖家
ヤクルト本社では営業畑を歩み、専務まで。培った人間力をプロ野球の球団経営に活かしました。明るくて仲間の結びつきが強くて…スワローズのチームカラーを引き継いで育て、今につなげました。近親者だけで葬儀などを済ませてから、ソッと発表。豪快なイメージとはちょっと違う、粋な旅立ちでした。訃報を伝える紙面はベタ記事でしたが、当時の番記者が添えた評伝を復刻します。(2018年10月16日掲載。所属、年齢などは当時)
プロ野球
元ヤクルト球団社長の多菊善和(たぎく・よしかず)氏が7日午前5時8分、肺炎のため死去した。82歳だった。群馬県前橋市出身で、2001年(平13)にヤクルト球団社長に就任。同年、若松勉監督とともに4年ぶりのリーグ優勝を果たすと、日本シリーズでは近鉄を倒し日本一となった。05年オフには古田敦也選手兼任監督を誕生させた。南海野村克也監督以来、球界では29年ぶりとなる兼任監督だった。07年に球団社長職を退任した。
★【悼む】「老害」「やってみれば」…強烈な言葉たち
ヤクルト多菊社長は歯に衣(きぬ)着せぬ人だった。何度か、その言葉の強烈さに驚かされた。
03年、当時の巨人渡辺オーナーが退任する意向を示したことについて聞いた時には「いいことじゃないの。あの年(76歳)までやったら老害になっちゃうよ」と言ってのけた。
