【高野連の見解】「相手をリスペクトすることが、フェアプレーにつながる」―竹中雅彦

長く高校野球の発展に尽くした竹中雅彦さん。亡くなる5カ月前、サイン盗みについて問われ答えた際のシンプル・イズ・ベストなマインドです。連載第10回。(2019年5月21日掲載。所属、年齢などは当時)

その他野球

★鬼の形相で詰め寄られ…井の中の蛙

日本高校野球連盟(日本高野連)の田名部和裕理事(73)は1993年(平5)~05年の事務局長時代、サイン盗み禁止に至る過程をつぶさに見てきた。

◆田名部和裕(たなべ・かずひろ)1946年(昭21)2月27日、神戸市生まれ。関大野球部出身。卒業後の68年に高野連事務局入り。93年に第6代事務局長に就任。05年まで同職で4人の会長の下、阪神・淡路大震災後の大会運営、特待生問題などに尽力した。参事を経て10年から理事。

転換点になったのは96年だと明かす。「奇跡のバックホーム」で松山商(愛媛)が優勝した夏の甲子園後、日本代表が米国に遠征した(世界4地域親善高校野球)。

米国戦の5回、巨体の三塁塁審がすごい形相で三塁側の日本ベンチにやってきた。「二塁走者が打者にサインを伝えている。すぐやめさせなさい」。7回にも「一塁コーチが捕手を見て打者に何か叫んでいる」と注意してきたという。

「恥ずかしかった。正直、当時の日本では常識すぎて、アンフェアという認識がなかった」

帰国後すぐ、審判規則委員会で「相手が嫌がることは禁止にしよう」と一致した。2年後の98年12月、日本高野連は指導事項を全加盟校に通知。甲子園では翌99年の春から規則に載せた。

だが発令後も違反は絶えない。

サイン盗みはもちろん、客席にOBを配置したサイン伝達、メモ書きをベンチに運ぶ行為まで日本高野連は把握した。