引退10年 気がつけば素振り…本能が覚えてる長嶋茂雄との日々/松井秀喜の今〈1〉
平成以降の野球史で、最重要人物といえば…松井秀喜氏(48)の名前を出して、異を唱える方は少ないでしょう。甲子園で伝説となり、巨人で力を蓄えて海を渡り、人間性も相まって日米の懸け橋となりました。残念なのは、引退後の肉声がなかなか聞こえてこないこと。巨人のルーキー時代から追いかける四竈衛記者が、ニューヨークへ飛びました。久しぶりのルポを2回に分けて。(敬称略)
プロ野球
◆松井秀喜(まつい・ひでき)1974年(昭49)6月12日、石川県生まれ。星稜時代は甲子園に4度出場。高校通算60本塁打(甲子園4本)。92年ドラフトでは4球団競合の末、長嶋監督が抽選を引き当てた巨人に1位で入団。96、00、02年リーグMVP。ベストナイン8度、ゴールデングラブ賞3度。00年正力賞。03年にFAでヤンキース移籍。09年ワールドシリーズMVP。エンゼルス、アスレチックス、レイズを経て12年に現役引退。13年に長嶋茂雄氏とともに国民栄誉賞を受賞。19年1月、43歳7カ月の最年少で日本の野球殿堂入り。現在はヤンキースGM付特別アドバイザー。現役時代は186センチ、103キロ、右投げ左打ち。
ニューヨーク郊外 家族とゆったり
勝負の世界から離れたその表情は、持って生まれた温厚な性格によるものだけでなく、穏やかで、かつ柔らかかった。
新型コロナ禍による外出規制が徐々に解除され、米国内でも平静を取り戻し始めた2022年。かつて巨人、ヤンキースなどで活躍した松井は、コンクリートジャングルのマンハッタンとは異なる、深い緑に囲まれたニューヨーク郊外で、家族に囲まれつつ、ゆったりと移ろう時間を過ごしていた。
「ご隠居? そう言われれば聞こえはいいけど、実際はニートみたいなもんかなぁ」
近況をうかがう冷やかし交じりの問いかけに、少し苦笑いを浮かべ、ジョークでサラリとかわす。
胸の中に去来しているはずの本音をやんわりと隠す性分は、現役時代とまったく変わっていなかった。
前夜までの曇天がカラリと晴れ上がり、汗ばむほどの日差しが降り注ぐ8月初旬。現役時代と同じ白木のバットを手にした松井は、自らが運営する基金主催の野球教室で子供たちのプレーを笑顔で見守っていた。
コロナ禍の影響で、過去数年は開催を見送っていたが、規制緩和に伴い約3年ぶりに再開した。
イベントの最後には、恒例の「模範打撃」として打席に立ち、右翼後方の森林へ完璧なアーチ2本をたたき込んだ。
今も昔も変わらぬ仕事…少年少女を喜ばせること
「年々飛距離は落ちて来てますけどね、あと何年かな…そろそろヤバいと思いますけど。ちょっと明日の朝が怖いですけど」
引退後、体形はさほど変わっていない。ただ、現役当時のように、ひたすらバットを振り続けているわけでもなく、定期的にジムに通い、熱心に鍛えているわけでもない。
多少の無理を承知で、強いスイングをするような「模範打撃」への不安がちらついても不思議ではない年齢に差し掛かってきた。
それでも、気が赴くと、運動不足解消と気分転換を兼ねてバットを握ることは少なくない。巨人在籍当時、長嶋茂雄監督と、試合後の宿舎だけでなく、東京・田園調布にある自宅に足を運んでまで、マンツーマンで素振りを続けてきた習慣は、今も本能が忘れていない。
引退後は、古巣ヤ軍の巡回コーチを務める傍ら、可能な限り、近郊の少年少女たちへの指導に時間を割いてきた。
小学校低学年の大半は、巨人時代はもとより、メジャーで活躍した松井の現役時代すら知らない。そんな子供たちに対し、自らを「おじさん」と紹介しつつ、投打の基本動作をゆっくりと伝えてきた。
「子供たちは僕のプレーを見たこともないだろうからね」。殿堂入りしたデレク・ジーターやマリアノ・リベラらと一緒にプレーしてきたことを紹介することも、米国育ちの子供たちには必要な情報だった。
手を取り、足を取り、細かく指導するわけではない。じっくりと観察しながら「Good」「Nice」と長所を励ますのが、いつしか松井流の指導法になった。
そんな数時間の野球教室の「締め」が、松井自らがバットを振るフリー打撃だった。
