【18年前の今日:2004年9月18、19日】プロ野球ストライキ…伝説の1面
「プロ野球は18日、史上初のストライキに突入した。ストは今日19日も行われ、2日間でセ、パ両リーグでフルカードの計12試合が中止となった。近鉄とオリックスの合併合意に端を発した選手会と経営者側の交渉は前夜、新規参入の時期などを巡り決裂。せめてセ6、パ6の健常な形態維持へ「最大限の努力」を求めた選手会の主張を、経営者側は受け入れなかった。22日にも労使交渉は再開される見込みだが、25、26日にも設定されるストを回避できるメドは立っていない。ペナントレース終盤の週末。プロ野球70年の歴史で、ついに、プレーボールのかからない日が訪れた。」――東京・築地の日刊スポーツ東京本社。今も1階通路に飾られている、見出しと前文だけの1面です。プロ野球が、いかに我々の生活に入り込んでいるか。灯が消えて痛感することになったのです。(2004年9月18、19日掲載。所属、年齢などは当時)
プロ野球
労組日本プロ野球選手会(ヤクルト古田敦也会長=39)と日本プロ野球組織(NPB)の労使協議(協議交渉委員会)が17日、都内のホテルで行われ、選手会は18、19日のストライキ決行を決めた。16日に続く交渉は午前11時から延長、再延長して午後9時前まで約10時間に及んだ。古田会長は新球団参入で来季12球団維持を求め、一時は合意寸前まで行ったが、言葉をめぐり決裂した。前日、進退をかけて打開案を出した根来泰周コミッショナー(72)は辞意を表明した。史上初の「野球のない週末」は、70年のプロ野球史で1番長い日を経てやって来る。
★4時間延長も決裂
急転直下のストライキだった。本来のスト決行決断時間だった午後5時を過ぎて、選手会と機構側は合意文書の作成に入っていた。
しかし、その文書に記す文言をめぐって、両者は1歩も引けなくなった。別々の部屋で協議を繰り返した。妥協点を探った。古田会長も、何度も機構側の部屋に足を運んだ。
目に涙を浮かべながら、なんとかストを回避すべく熱弁をふるった。しかし、4時間延長でも歩み寄れなかった。
プロ野球をファンから奪うことになったのは、言葉の解釈問題だった。
古田会長は「来季からの新規参入に向けて最大限の努力をしてほしいとお願いした。来季から必ず入れて欲しいとは言っていない。可能性があれば良かった」。
しかし、なにを持って最大限の努力なのか。結果が伴わないことは許されないのか。経営者側はこの言葉に二の足を踏んだ。
