悪い思い出にしないで…最終戦で辞任発表のロッテ井口監督 強烈な輝き放った2題復刻

選曲した方のセンスに脱帽せざるを得ない、英ロックバンド・オアシスの名曲「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」が流れる中、退任を発表したロッテの井口監督がZOZOマリンの場内を一周しました。志半ばで下ろした重い荷…悔しさと安堵が入り交じった、形容が難しい表情でした。メジャーからの再出発に縁のなかった千葉を選び、優勝争いをして当然の状態にまでチームを押し上げました。個人的には、2008年に阪神岡田監督が辞任した以来の驚き。シーズン最終戦セレモニーでの発表は、人事は水ものという格言と、勝負の世界の厳しさを、あらためて教えてくれることとなったのです。敬意を込めて2題を復刻します。(年齢、肩書などは当時)

プロ野球

最近ではすっかり見る機会が減った紙吹雪。ファンの圧倒的な支持を得て、直接監督に=2017年9月24日

最近ではすっかり見る機会が減った紙吹雪。ファンの圧倒的な支持を得て、直接監督に=2017年9月24日

【2017年9月25日】代名詞の逆方向締め 引退試合の9回同点2ラン

最後に、出た。ロッテ井口資仁内野手(42)が引退試合となった日本ハム25回戦(ZOZOマリン)で、同点の2号2ランを放った。1―3の9回無死一塁で、増井の149キロをバックスクリーン右横に放り込んだ。土壇場で追い付き、延長12回のサヨナラ勝ちにつなげた。20年前のデビュー戦で満塁弾を放った男が、ラストゲームでも鮮烈な1発。日米21年間の現役生活を最高の形で締めくくった。

引退試合の9回に同点2ラン。劇画の展開に=2017年9月24日

引退試合の9回に同点2ラン。劇画の展開に=2017年9月24日

サヨナラ打を打ったわけじゃないのに、井口はびしょぬれにされた。

延長12回1死二、三塁。「勝ったら井口さんに水をかけよう」。ベンチで清田や吉田のひそひそ声が聞こえてきた。鈴木が右前打を放つのを見て「まずい」と逃げた。だが、すぐに水が飛んでくる。二塁付近で、もみくちゃ。みんな特別ユニホームの背番号「6」。誰が誰だか分からないが、うれしい。「最後に、こんな勝ち方。みんな任せたぞ」。最高の気分だった。

求めてきた当たりが、劇的勝利につながった。2点を追う9回無死一塁、増井の149キロをバックスクリーン右横へ。土壇場で、代名詞の中堅から右方向への1発が飛び出した。

「2軍で、あの打球を求めてやってきた。自分やみんなの思いが伝わってフェンスを越えた。まだまだやれると思う半面、すっきり辞められます」

背中を見て育った男が、背中を見せる男になった。プロ入りした97年。ダイエーには球界を代表するスター、秋山(前ソフトバンク監督)がいた。「俺の背中を見ろ、と。憧れました。自分もそうなりたい。僕は秋山さんになりたかった」。

走攻守そろった右の強打者。共通項を見いだし、秋山幸二を追った=2002年7月16日

走攻守そろった右の強打者。共通項を見いだし、秋山幸二を追った=2002年7月16日

それから20年。球界最年長となり、当時の秋山と同じ立場になった。特にこの1カ月は、2まわり近く年下の若手と汗を流した。球拾い、グラウンド整備も一緒にやった。聞かれたことは何でも答えた。彼らの悩みを知った。「自分の財産です」。視野が広がった。新監督就任が決定的となっている。今後については「今はゆっくり休めて。これからじっくり考えたい」としたが、球界やファンに恩返しの気持ちが強い。引退スピーチでは、チームメートに「マリンにチャンピオンフラッグを」と呼び掛け「選手のみなさん、期待しています」と言った。これからは指揮官として、強いロッテを見せていく。

◆井口資仁(いぐち・ただひと)1974年(昭49)12月4日、東京都生まれ。国学院久我山―青学大を経て96年ドラフト1位でダイエー入団。01、03年盗塁王。ベストナイン、ゴールデングラブ賞各3度。04年オフにダイエーを退団し、ホワイトソックス入団。加入1年目に88年ぶり世界一に貢献。フィリーズ、パドレスを経て09年ロッテ移籍。13年に日米通算2000安打。17年現役引退し、翌年からロッテ監督。178センチ、91キロ。右投げ右打ち。