【金田正一さんを悼む】サイン出したのは…巨人に移籍直後の1イニングだけー森祇晶

ジャイアンツ球場に東京ドーム。ふらりと訪れては、原監督はじめ後輩たちを励ましていました。気さくな印象でしたが、いつも不思議だったのは、グラウンドに降りた瞬間「来た!」と分かる別格のオーラ。400勝だけでは醸し出せない空気をまとった不世出の投手、没後3年です。(2019年10月7日掲載。所属、年齢などは当時)

プロ野球

◆金田正一(かねだ・まさいち)1933年(昭8)8月1日、愛知県中島郡平和村(現稲沢市)生まれ。49年、名古屋電気学校から享栄商へ転校。甲子園出場経験はない。50年、高校を中退して国鉄入団。巨人戦史上最多の65勝を挙げ、51年からは14年連続20勝をマーク。経営権がサンケイへ移った65年、当時のB級10年選手制度の権利を行使し巨人に移籍。現役通算20年間で400勝298敗、奪三振4490、投球回数5526回 2/3 、完投365などの記録を残した。通算防御率2・34。ベストナイン、沢村賞各3度。球宴出場17度。69年限りで現役引退。巨人の背番号34は永久欠番となる。74年、ロッテの監督として日本シリーズを制覇した。78年に200勝、2000安打などが条件の名球会を設立。88年、野球殿堂入りした。現役時代は184センチ、73キロ、左投げ左打ち。

現代でも比較対象が出てこない、スケールしか感じないフォーム。直球とカーブだけで400勝を挙げた!=1969年4月12日

現代でも比較対象が出てこない、スケールしか感じないフォーム。直球とカーブだけで400勝を挙げた!=1969年4月12日

【悼む】ストイック…革命もたらした

カネさんとの思い出は数え切れない。

1965年(昭40)4月10日の開幕中日戦(後楽園)で初めてバッテリーを組んだ。国鉄の捕手だった根来(広光)さんから「ノーサインだから大変だぞ」と忠告されていたけど、カネさんは「巨人に来たからにはサインに従う」と言ってくれてね。その通りに1回表を終えた。

2回表。サイン通りに投げてこない。こちらも危険を感じ、3回から「ノーサインにしましょう」となり、引退するまでずっとノーサインで受けた。