原辰徳引退試合…母の勝代さんが告白「生まれ変わったら、こういう人と結婚できたら」

「日刊スポーツ・プレミアム(無料版)」の開設から7カ月強、「野球好きプラン」を編集してきました。素直に驚いたのは、野球には日々、記念日があること。誰かの心にいつまでも残る積み重ねが、この競技特有の奥行きを、さらに深いものにしていきます。「野球―」の更新は、1995年(平7)に行われた原辰徳引退試合のプレーバックでひと区切り。節目にふさわしく、母勝代さんの貴重な手記をお届けします。「日刊スポーツ・プレミアム」は10月中旬より、有料版として生まれ変わります。どうぞよろしくお願いいたします。(1995年10月9日掲載。所属、年齢などは当時)

プロ野球

玄関を上がって、父の貢さん、妹の詠美さんと合流し乾杯。この後、女性陣が表に出ることがほぼなかったため、極めて貴重なショットに

玄関を上がって、父の貢さん、妹の詠美さんと合流し乾杯。この後、女性陣が表に出ることがほぼなかったため、極めて貴重なショットに

■面会謝絶なのに

辰徳に「申し訳ないことをした」と思ったことがあります。

11年前、私は脳腫瘍(しゅよう)で入院しました。大騒ぎになるので、ちょっと遠い青砥の慈恵医大分室を選び、マスコミはもちろん親せきも面会謝絶にしました。

辰徳は入団4年目。その前の年には打点王を獲得していました。確かに生きるか死ぬかもありましたけど、野球を精いっぱいにやってほしかったから、辰徳にも「来ちゃダメよ」と言いました。

それでも、隠密で何回か来ました。びっくりしました。私のことを思っていてくれるんだなって…そのころ、打率が落ちていきました。ああ、気にしてる。ごめんね、心配かけて。

引退試合で通算382号本塁打を放った。広島の投手は紀藤=1995年10月8日

引退試合で通算382号本塁打を放った。広島の投手は紀藤=1995年10月8日

あまり褒めると親バカと思われます。だから、必死に悪い面を思い出そう、探そうとしたんですが…何しろ小さいころから、手のかからない子でした。いつでも、どこでもみんなに好かれるリーダー格でした。

辰徳が小学校3年の2学期のことです。三池(福岡)からこちら(神奈川・東林間)に引っ越して来た、その日でした。