【川上哲治さんを悼む】西武時代、連敗続き…オヤジの「おめでとう」で楽に/森祗晶氏
川上哲治氏の薫陶を最も身近で受けてきたのが、川上巨人の正捕手で元西武監督の森祗晶氏(76=日刊スポーツ評論家)です。現役、監督時代はもちろん、ユニホームを脱いでからも交流を続けていました。尊敬と親しみを込めて「オヤジ」と呼ぶ川上氏の死を悼み、その偉大さと思い出を語りました。(2013年10月31日掲載。所属、年齢などは当時)
プロ野球
2013年10月28日 老衰のため死去 93歳
「打撃の神様」が逝った。元巨人監督で日刊スポーツ評論家の川上哲治(かわかみ・てつはる)氏が、28日午後4時58分、老衰のため、東京・稲城市の病院で死去した。93歳だった。1938年(昭13)に熊本工から巨人に入団し、選手時代には「打撃の神様」と呼ばれた強打者。監督時代には65年から不滅といえる9年連続日本一を達成するなど巨人の黄金期を築いた。戦前から高度成長期にかけて日本のプロ野球に大きな足跡を残し、92年には野球界から初めて文化功労者に選ばれた。戒名は「大徹院赤心哲山居士(だいてついんせきしんてつざんこじ)」。
◆川上哲治(かわかみ・てつはる)1920年(大9)3月23日、熊本県生まれ。熊本工では甲子園準優勝2度。38年、吉原捕手とともに巨人入団した。打力を認められ投手から一塁手に転向し、39年には史上最年少の19歳で首位打者を獲得。「弾丸ライナー」が一躍知られるようになった。戦後は46年6月に巨人に復帰。「打撃の神様」と呼ばれ、47年からは大下弘(東急)の青バットに対抗して赤バットを使い、人気を二分した。58年に現役引退。現役時代の主なタイトルは首位打者5回、本塁打王2回、打点王3回。最優秀選手3回。2年間のコーチを経て61年、巨人監督に就任し、65~73年に不滅の9年連続日本一を達成した。背番号16は永久欠番。65年野球殿堂入り。現役時代は174センチ、75キロ、左投げ左打ち。
新聞紙に炊きたてごはん
人生において、大きな柱を失った気持ちだ。私がユニホームを脱いでからも毎年お会いし、野球談議をさせていただいた。今年2月にご自宅にお邪魔した際、お元気そうで安心していたのだが。残念でならない。
1955年(昭30)の巨人入団以来、川上さんの現役、コーチ、監督時代をずっとそばで見てきた。言い尽くせないくらい思い出がある。
川上さんが監督に就任なされて1年目の61年、ベロビーチ・キャンプでのことだ。練習が終わると私は毎日、川上さんの部屋に呼ばれた。川上さんが持ち込んだ電気釜で米をたき、新聞紙を皿代わりにして、ノリのつくだ煮と一緒にごはんを食べた。そして「勝つためにチームプレーがいかに大事か」「捕手のサインひとつでみんなが動くんだ」と、こんこんと説かれた。
勝負に厳しかった。その年の南海との日本シリーズだ。2勝1敗で迎えた第4戦が雨で中止になった。休みになるだろうなと思ったら全員多摩川に集合させられた。
