【没後3年】クセが強~い海千山千ベテラン記者も虜にする人間力/野村克也がいた風景

野村克也さんが死去して3年になります。選手、監督として残した記録はもちろん、オンリーワンのもの。加えて野村さんは、取材者にとっても記憶のど真ん中に居座って離れない存在でした。理由は2つ。記者の向こうにファンがいる構造を熟知していたこと。もう1つは、肩書で人を判断しなかったこと。人間洞察に長け、クセの強いベテランの記者たちから、文句なしの支持を集めました。20年6月に連載「野球の国から」で掲載した「野村克也のいた風景」より、セレクション3題。巨星を想う2月11日です。(所属、年齢などは当時)

プロ野球

◆野村克也(のむら・かつや)1935年(昭10)6月29日、京都府生まれ。京都・峰山高から54年にテスト生として南海入団。ロッテ、西武で80年に引退するまで名捕手として活躍し、歴代2位の657本塁打を記録。65年には2リーグ制後初の3冠王に輝いた。70年から選手兼任監督を8年務め、73年にリーグ優勝。首位打者1度、本塁打王9度、打点王7度。最優秀選手5度。ベストナイン19度。89年野球殿堂入り。ヤクルト監督時代に日本一3度。その後阪神、楽天の監督を務めた。監督通算1565勝は歴代5位。20年2月11日に虚血性心不全のため84歳で死去した。現役時代は175センチ、85キロ。右投げ右打ち。

【秋山惣一郎】久万オーナーとの腹蔵なき攻防

名捕手にして戦後初の3冠王、監督としても大きな名を残して2月、野村克也さんが逝った。

球界に輝かしい足跡を残した野村さんが生前、「俺の野球人生から抹消したい」「俺の評価を落としただけや」とボヤいた時代がある。1999年(平11)から3年間、指揮を執った阪神監督時代だ。

監督最終年となった01年7月30日。久万俊二郎オーナーと会談した際のメモが残っている。

チームの成績低迷に加え、一部在阪スポーツ紙との関係は悪化し、抜き差しならない状況にあった。沙知代夫人の脱税疑惑の「Xデー」も近づいていて「野村退任は必至」と誰もが思っていた時期だ。

「それなら好きにやればいい」

メモには、関西経済界で重きをなす名オーナーと、名将の名をほしいままにする大監督が、腹蔵なく語り合うさまが、生々しく記録されている。

甲子園での横浜戦に敗れて3連敗の後、移動日となった月曜の昼下がり。大阪市内のシティーホテルで会談は始まった。

久万オーナーが、コーチ2人の名を挙げて、成績不振の一因はコーチ陣にあるのではないか、と迫る場面から、メモは書き起こす。

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