【実録・令和のドラゴン桜】花巻東→初の東大合格→浦和学院・森士前監督との出会い

エンゼルス大谷翔平の母校・花巻東(岩手)から東大へ-。同校で史上初めて東京6大学の東大に合格した大巻将人内野手(2年)は学生として、選手として、多くの顔を持っています。高校野球の強豪、浦和学院(埼玉)前監督の森士氏(58)が理事長を務める「NPO法人 ファイアーレッズメディカルスポーツクラブ」にも参加。地域の子どもたちを指導する学習部門のリーダーを務めます。小学生、中学生に伝えたい思いとは。

高校野球

大巻将人内野手「浪人しても…」

NPO法人が立ち上がる頃に、森理事長から声がかかった。大巻は「僕は他の東大野球部員とは違っていて、高校時代まで部活動ばっかりで来ていたので。勉強も部活も、どっちも頑張りたいという人を応援したい気持ちはあったので、喜んで進んで参加しようと。僕のしてきた経験を伝えられればと思いました」。

岩手県岩手郡の出身。甲子園を目指し、野球で選んだのが、春夏通算で甲子園14回出場を誇る花巻東だった。

1年冬に、ブルージェイズ菊池、エンゼルス大谷らを指導した佐々木洋監督の計らいで東大野球部の浜田一志前監督と出会い、東大への進学を決意した。「花巻東に行ってなかったら、東大に通っていなかったと思います」と周囲に感謝する。

高校時代、毎日の野球部の練習だけで、へとへとに疲れる。そこに勉強も加わった。日々の授業はしっかり受ける。部活後に、東大受験のための参考書に取り組んだ。

当時を「めゃくちゃ頭が良かった訳ではないです。参考書も、最初はちんぷんかんぷんでした」と、笑いながら振り返る。3年時の18年に、チームは春夏連続で甲子園に出場。自身は試合のメンバーに入れなかった。

目標があったから、頑張れた。「浪人をしても東大に行く」と覚悟し、高校卒業後は花巻東のトレーナーを務めている能勢康史氏を頼って上京。下宿しながら2浪を経て、同校史上初の東大に合格した。

「リーグ戦のベンチ入りと出場が目標」と日々練習に励んでいる=2022年12月

「リーグ戦のベンチ入りと出場が目標」と日々練習に励んでいる=2022年12月

浪人時代には、息抜きも兼ねて年1~2回は6大学を観戦。神宮球場でのプレーを夢見た。

入学後は、新人戦にあたるフレッシュトーナメントに出場した。やっと立てた神宮のグラウンド。「今まで見たことのない景色でした」。努力を積み重ねた先にあった絶景。成功体験を知るからこそ、未来の大学生にも伝えたいという思いにつながる。

練習→授業→NPO法人→課題

NPO法人では、学習について「導く」という言い方をする。「できないから嫌い」と思って拒絶しないでほしい。「自分で解けた」という喜びを知ってほしいから、手伝うという意識。

「土台作りとなるのは、中学生の時期。内申点や高校につながるので、勉強の大切さも教えています。高校に行っても、例えばテストの成績が悪いと部活ができない学校もある。一番は、野球をやってもらいたい。そのために勉強をする習慣をつけてほしいです」

自らも、普段は学生。寮から通う電車移動は、貴重な勉強の時間だ。すぐにカバンから参考書を取り出して広げる。

「二刀流」「三刀流」をこなす、ある1日のスケジュールはこうだ。

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