【ボートレーサー転身】元西武・野田昇吾氏 新庄監督からの何気ない一言/連載〈2〉

西武の元投手で、中継ぎ左腕として活躍した野田昇吾(30)が、ボートレーサーに転身しました。20年に現役を引退し、福岡・柳川市内のボートレーサー養成所に入所。厳しい減量にも耐え、22年11月にデビューを果たしました。プロ野球界から異例の転身に踏み切った背景や思いとは。元西武担当の記者が聞きました。

プロ野球

◆野田昇吾(のだ・しょうご)1993年(平5)6月27日、福岡県糸島市生まれ。鹿児島実時代の高2夏、高3春(8強)に甲子園出場。西濃運輸を経て、15年ドラフト3位で西武に入団。20年引退までの5年間、通算成績は144試合に登板し、4勝1敗1セーブ26ホールド、防御率3・09。17年アジアチャンピオンシップで侍ジャパンに招集された。妻は声優の佳村はるか。左投げ左打ち。

6時起床→300mダッシュ→乾布摩擦

野田はアイスクリームの自販機の前に立っていた。コインを滑り込ませ、何本食べても満足感が得られない。最後に残るのはいつもバニラ味だった。「多い日で1日15本。さすがに気持ち悪くなりました(笑い)」。

ボートレーサー養成所の生徒にとって、唯一の楽しみであり娯楽だった。自販機に補充される400本のアイスが2日でなくなる。あの脳に訴えるような、アイスの味は忘れられない。

交流戦で始球式。ファンの前に「ボートレーサー」として登場した=2023年6月9日

交流戦で始球式。ファンの前に「ボートレーサー」として登場した=2023年6月9日

午前6時、養成所内にブザーが鳴り響く。その瞬間、ベッドから跳び起きる。布団をたたんで、シーツは角と角を合わせ、掛け布団を一番下にして並べると、一張羅で300メートル先までダッシュ。すぐさま乾布摩擦が始まる。

「それを3分以内にやらないとダメ。毎日土日も。できるようになるんですけど、それまでにくじけてやめる人もいる。娯楽はない。だからアイスだけなんです」。これが第2の人生に選んだ登竜門だった。

減量75㌔→51㌔ 24倍難関突破

18年、プロ野球パ・リーグを10年ぶりに制覇した西武で、左のワンポイント投手として58試合に登板した。初登板は1年目の16年6月28日日本ハム戦(札幌ドーム)。3三振に打ち取り、敷田球審がトレードマークの卍(まんじ)ポーズを決めた画像は、今もスマホに大事に取ってある。

プロ生活5年。20年限りで引退し、次なるステージにボートレーサーという水上の戦いを選んだ。

本文残り68% (1763文字/2578文字)