口下手な土橋勝征がもらした 燕の名物フロント訃報に「サンダース軍曹」/連載〈3〉
胆力-。物事に動じない、恐れない気力を示します。野球人は胆力を武器に、その世界で生き抜いてきました。
取材記者の宝物は、選手たちとかわした会話や、触れ合いにあります。それが紙面に出なくても、大切な記憶として胸にとどまります。そんな情景をふと思い出し、野球人の胆力をあらためて感じる時、この仕事を続けてきた実感が込み上げてきます。(敬称略)
プロ野球
◆土橋勝征(どばし・かつゆき)1968年(昭43)12月5日生まれ。千葉・船橋出身。印旛高から86年のドラフト2位でヤクルトに入団。複数守備を守れ、野村克也監督から重宝され95年のリーグ優勝時には「土橋は裏MVPだ」と高く評価された。06年オフに通算1464試合、1121安打、打率2割6分6厘、79本塁打、427打点の実績を残してヤクルト一筋20年の現役生活を終えた。その後はコーチ、フロントとしてヤクルトを支えている。
37歳ベテラン→球団代表
その時、デスクから原稿の指示も受けていなかった。フリーに動いていると言えば聞こえはいいが、ノーストレス、ノープランで、ただぼぉ~っと、テレビに見入っていた。
画面は戦争のシーン。第2次世界大戦だと思うが、戦場で苦闘する歩兵が映っていた。
ぼんやり眺めていた。そんな時、頭の中はどういう仕組みで作動しているのか分からないが、突如としてある記憶がよみがえってきた。まるで降ってきたように。
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入社最初の担当はプロレス。記者31年を通じ、もっとも恐ろしかったのは、まだ25歳の新人記者として、ターバンを巻きサーベルをくわえたタイガージェットシンに追い掛けられたこと。
その後はプロ野球で巨人担当のコメント取りにはじまり、日本ハム、ヤクルト、横浜、西武を担当。総務で2年間、就業規則を学んだ後、スポーツ部で大相撲、サッカー担当。W杯南アフリカ大会では岡田ジャパンを取材。
デスク業務を経て現場記者に復帰して6年目。高校野球の地方大会取材に燃えるアラ還記者。
