【ノーカット】小倉全由×長島三奈 高校野球に生きる2人…神宮に流れた格別な時間

今年3月に日大三(西東京)の監督を退任した小倉全由氏(66)が、スポーツキャスター長島三奈さん(55)と特別対談を行いました。数々の名勝負を繰り広げた神宮球場にスーツ姿で登場。指揮官時代の取材を契機に親交を深めてきた長島さんとの思い出や、高校野球の魅力や未来などを語り尽くしました。ノーカット版でお届けします。

高校野球

◆小倉全由(おぐら・まさよし)1957年(昭32)4月10日、千葉県生まれ。日大三野球部では3年夏は背番号「13」の控え選手。5回戦で敗れ甲子園とは無縁だった。日大進学後は4年間母校のコーチを務めた。81年12月に関東第一の監督に就任。85年夏同校初の甲子園出場。87年センバツ準優勝。97年日大三の監督に就任。99年センバツで日大三の監督としては初の甲子園出場。01年夏、初優勝。11年夏、2度目の全国制覇。23年3月、定年を機に退職し監督を勇退。家族は妻と2女、孫が1人。今夏から日刊スポーツ評論家を務める。

◆長島三奈(ながしま・みな)1968年(昭43)6月3日、東京都生まれ。田園調布雙葉中・高をへて、91年日大文理学部卒。同年テレビ朝日入社。スポーツ局で記者、ディレクターとして勤務。96年10月から報道局。「ニュースステーション」「熱闘甲子園」「長島三奈の熱闘!スポーツM18」などでキャスターを務める。00年3月に退社し、01年2月から契約社員。14年2月からフリー。父は巨人の長嶋茂雄終身名誉監督。

「三奈さん来られました!」で目が覚める

神宮球場の三塁側ファウルゾーン。からっとした青空の下、グラブを手にした2人が向き合った。雑談しながら、笑顔でキャッチボールを始めた。

長島今日の空は夏の雲! 球児の夏がきた~って思いますね。

小倉自分はユニホームを脱いで最初の夏。でも、夏に野球ができるのはいくつになってもうらやましい。今年はとくにそう感じるのかもしれないね。

――高校野球の見方は変わりそうですか?

小倉熱さ、変わらないですね。一生懸命にやって欲しい。力を抜いている選手がいたら、「おまえら何やってんだー。今しかできないんだぞー」って怒鳴りたくなっちゃうかもね(笑い)。

――あらためておふたりの出会いは?

小倉99年、日大三の監督として初めて夏の甲子園に出場した時でしたよね?

長島はい。甲子園練習でちょうど一塁側のベンチ前で見ていたんです。三高の選手の中にひときわ大人びた人がノックを受けている。大きな声を出していて明らかに選手じゃない!? それが小倉監督でした(笑い)。普通、監督はノックをする方なのに。衝撃を受けました(笑い)。

小倉そうそう、それが三奈さんとの出会いでしたね。

長島一番キラキラしていましたよ(笑い)。

小倉自分は現役時代、甲子園に出場していないので、羨ましくってね(笑い)。本当、甲子園は何回行っても選手たちが羨ましいんですよね。三奈さんはそれからずっと熱闘甲子園(朝日放送系列)で追い掛けてくれて。

甲子園練習でグラブを手に守備位置に就く日大三・小倉監督(中央)=2013年8月

甲子園練習でグラブを手に守備位置に就く日大三・小倉監督(中央)=2013年8月

長島監督は指導者でありながら、選手以上に野球が好きな方ですよね。勝ったら心から選手を称え、負けたら勝たせてやれなかった、と監督ご自身が心で泣いている。

小倉01年の全国制覇の代、翌年の代と、よくグラウンドに来てくれましたね。冬の強化合宿から、優勝旗返還まで追い掛けてくれたのが、西東京大会準決勝で負けて。選手たちはプレッシャーだったんでしょうね。

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秋田県生まれ。
2017年まで、日刊スポーツ出版社刊「プロ野球ai」デスク、「輝け甲子園の星」の記者を務める。〝ヨシネー〟の愛称で連載を担当した。甲子園取材は春夏通算50回超え。
著書に「監督心」、「主将心」(実業之日本社)「東浜巨 野球日誌が語る22年」(小学館)など。