
【10,496文字】前DeNA山下幸輝の野球人生 心療内科…陽キャラの陰で/前
昨季まで内野手としてDeNAに在籍していた山下幸輝さん(30)は、現在株式会社Nine Edge(ナインエッジ)で、動画解析アプリを使用した指導や教室で野球を教えています。関東第一―国学院大と歩み、14年ドラフト5位でプロ野球に到達。1年目から1軍に出場しました。虫好きということで「ムシくん」のあだ名をつけられたり、打席で大声を出す絶叫打法を見せたりと、金髪の個性派の打撃職人として知られました。22年10月に戦力外通告を受けるまで、波瀾(はらん)万丈だった野球生活をじっくり振り返ってもらいました。ロングインタビューの前編です。
プロ野球
プロ野球編、アマチュア野球編に分けて、山下さんの半生を聞いた。まずはプロ野球入団から現在の仕事まで。主な内容は以下の通り。
1)8打席連続三振からのスタート
2)高須コーチ&宮崎から得た極意
3)1球でイップスに…守備の苦悩
4)誹謗中傷で…ツイッターを閉鎖
5)松井裕樹から放ったサヨナラ打
6)関根のブレーク、山崎との友情
7)金髪の理由、肉体改造の理由…
8)引退決意 心の病と1通の投稿
9)いつかは指導者 将来の自分像
◆山下幸輝(やました・こうき)1993年(平5)1月31日、千葉県君津市生まれ。関東第一では3年夏の甲子園で8強。国学院大では4年春のリーグ戦でベストナイン。同夏には大学日本代表入り。14年ドラフト5位でDeNA入団。16年は代打の切り札として重宝され、代打打率4割(25打数10安打)をマーク。22年10月に戦力外通告を受け現役引退を表明した。プロ通算224試合、1本塁打、18打点、打率2割1分。現役時代は174センチ、85キロ。右投げ左打ち。
――プロ野球は、ドラフト5位でDeNAに入団しました。1位は山崎康晃投手、2位は石田健大投手、3位は倉本寿彦内野手。プロはどう感じたか
入った時は「なんだここ」と思いました。レベルが高くて、みんなデカくて、変化球見えないし、球速いし。全然違いましたね。
――アマチュア野球の最高峰である東都大学リーグ出身でも
でも、全然違いましたね。東都はヤス(山崎)とか今永(昇太投手)とか島袋(洋奨投手=中大からソフトバンク入り)とかいましたが、プロは、大学トップレベルの選手が全員という感じでした。確かに大学4年の時に「今永やばっ!」とか思っていましたけど、プロはそれが全員という感じで。
――でも、新人ながらキャンプから1軍へ
それは、新人合同自主トレで、1500メートル走とか全部1位だったから呼ばれたようなもので。技術的には、そんなになかった。
――安針塚の名物の公園の山登りでも1位で
はい。
――体力には自信があった
運動神経というか、体力的にはすごく自信があった。あとは大学野球が終わってから、担当スカウトの武居(邦生)さんが毎日のように(練習を)見に来て「1500メートル走があるからな。走っておけ」と言われていて。
――体力づくりをしていたのが幸いした
そうですね。
――運動神経は昔からよかったのか
そうですね。悪い方ではなかった。
――野球以外に得意だったのは
まったくないです。泳げないですし(笑い)。
――足が速かったとか
足も中の中ぐらいです。全部、中の中ぐらいでした。
――50メートルとかは
50メートルも速くはなかった。高校卒業する時も。6秒3ぐらいでした。
――長距離は
長距離は自信がありました。
――それでも新人ながら開幕1軍をつかみました。ボールが見えなかった世界で
まず、キャンプでシートバッティングとかするじゃないですか。8打席連続三振から始まったんですよ。井納(翔一)さん、山口俊さん、田中健二朗さんとかから。これはダメだなと思って。
――何か変えたのか
環境に慣れたのと、球に目が慣れていって、どんどん打てるようになっていった。
――1年目から23試合に出場している。オフには台湾のウインターリーグに参加してます。何かつかんだのか
1年目の夏前ぐらいから、今、台湾でコーチをしている高須(洋介)さんが、付きっきりでバッティングを教えてくれてから、なんとかバッティングがよくなっていった。
――台湾できっかけをつかんだのか
いや、1軍に上がったのが7月だったのですが、その前の6月ぐらいですかね。
――高須コーチから教えられて、特に覚えていることは
ゆっくり振れ、と言われました。感覚的なもので。
――普通はスイングスピードを上げろ、とよく言われますが
スイングスピードは速くなくていいんだと。とにかく、ゆっくり振れと。
――どういう意味なんでしょうか
どういう意味なのか分からないですが、ゆっくり振っていったら、球もゆっくり見えるようになって。宮崎さん(敏郎内野手)も同じようなことを言っていました。「バットは重たいように振る」みたいな。「ゆっくり振る」と結構つながるのかなと思いますね。
――バットの重みを感じながら振るということでしょうか
そうですね。
――バットの反発力を信じて振るというか
そうですね。何だろう、僕は理解できたのですが、たぶん周りの人は理解できてなくて。
――球を速く感じるな、ということでしょうか
「すべてをゆっくり動かせ」と言われて。タイミングも、スイングも、間も。
――そのアドバイスがしっくりきた
そうですね。
――台湾から帰ってきて、2年目は1年目の倍以上となる62試合に出場した
2年目から(監督が)ラミちゃんだったんですけど、すごく使ってくれて、結果が出たというか、代打での成績が良かったと思います。確か、代打で成功率が4割(25打数10安打)だった。
――代打のコツをつかんだのか
僕は元々、野球で配球とか球種とかを考えるタイプではなかった。代打は、それを考えちゃうと、あっという間に追い込まれてしまう。僕は何も考えないというのが、はまった気がします。来た球を打つという感じだったのが。
――1試合で何打席かあると、前の打席からのつながりなどがあるけど
そんなことを考えずにいけたので。
――オフには「5番三塁」で出場したU23ワールドカップ(メキシコ)で優勝している
関根(大気外野手)とか砂田(毅樹投手)も選ばれていたのですが、あの年は(チームが)CSに出ていて、CSのベンチに入らなかった僕とか乙坂(智外野手)が行った。
――海外に行って、得たものはあったか
いや、海外は大変だなと、食事とか虫がすごかったりとか(笑い)。
――翌17年は出場試合数が21試合と激減しました
その年は守備でミスするようになって、イップスになった年ですね。
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