【比較論】差別に立ち向かったハム加藤豪将 勇気もらえる7874文字/連載〈29〉

米球界から昨秋ドラフト会議で日本ハム入りした異色のルーキー、加藤豪将内野手(28)が、新たな環境で奮闘してます。1年目の今季は、6月7日の広島戦でデビューから10試合連続安打をマークし、2リーグ制後の最長記録に並びました。シーズンも終盤。日米の違いや日本での新生活など、1年目の“未知との遭遇”に迫りました。

プロ野球

◆加藤豪将(かとう・ごうすけ)1994年(平6)10月8日生まれ、米カリフォルニア州出身。両親は日本人。幼少期を日本で過ごした後、同州サンディエゴで育つ。ランチョバーナード高から13年ドラフト2巡目(全体66位)でヤンキース入団。19年にマーリンズ、21年パドレス移籍。22年にブルージェイズとマイナー契約し、初のメジャー昇格で8試合に出場。7打数1安打(打率1割4分3厘)だった。同5月からメッツ傘下でプレー。同10月のドラフトで日本ハムから3位指名された。185センチ、91キロ。右投げ左打ち。

野球の違い…「別のスポーツ」

―シーズン終盤。自分が想像していた野球はできている?

こっちの野球をどんどん学んでいくほど、自分も進歩しているとこが見えてくるので、やっぱり。

今年はもう、初めから我慢の年だったので。もう本当に、キャンプが始まる前の日から、ケガだったのもあったので。

その後、腹斜筋のケガもあったので、なんか、いろんな面で今年は全てを経験できた。まだ、経験している最中。まだ、多分50試合ぐらいしか出てないので、本当に毎試合、毎試合出ると、学ぶことが多い。

自分は自分を高めることが、すごい好きで、夢中になるので、その面ではもう毎日すごい楽しんで試合をやっています。

―日米の野球の違い、一番感じたところは

その質問、結構聞かれるんですけど、いろんなことが違いすぎて、自分の中では何を答えればいいのか、分かんないとこもある。

逆に、どこが同じかっていうことを考えた方が少ないような気がして。プレーしないと分かんない違いもあるので、本当に自分がファンとして、日本の野球を見ていて、同じような試合をやっているような気もしていたんですけど、本当に全然違う。本当に別のスポーツ。思っていたより違った。

―元々、違うっていうのは思っていた

そうですね。本当に小さい頃から、日本の野球もファイターズの試合とかもテレビで見ていたんですけど、それは、まだ、7、8歳ぐらいの時だったので。

でも、そこからずっと、日本の野球を見ていて、本当に違うスポーツをやっているなって思っていたから、こっちに来て、この環境に入ったら、それ以上に違ったので、試合に出るからこそ、違いがどんどん分かっていくっていう感じで。

それもチャレンジで、自分はチャレンジが大好きなので。夢中になって、こんな違う環境で自分をどこまでアップデートできるのかっていうので、本当に毎日毎日、夢中になっています。

一番の違い…「違う時にスピードが変わる」

―日本の野球で一番、難しいなと思ったことは?

野球の話の前に、生活ですごく苦労した時もあったので。

アメリカで20~25年生きてきて、プロでは9~10年ぐらいやっていたので、自分のルーティーンが、フィールドの外でもできていた。

こういうシチュエーションの時には、ここに行って、これを食べればいいとかあったのが、こっちに来たら、それも分かんなくて。

日本語も喋れますけど、読めないし。どこに行けば何が手に入るかとか、もう本当に分からない。この間、両親にプレゼントを買ったんですけど、ラッピングペーパーをどこに買いに行けばいいのかとか、なんかそういう小さいストレスとかもある。

そういうストレスとか、感情が野球のプレーに結構、出る。自分の中では、外国人が来て、ここでパフォーマンスを出さないといけないっていうのが、どれぐらい大変かっていうのが、自分は日本の家庭で生きてきて、日本語もなんとなく分かるっていう中でも、これぐらい苦労しているのに、うちにいる外国人選手とかは、結構苦労しているんだなって思った。

一番違うと思ったのは、やっぱりスピードですかね。

アメリカの方が速いとか、日本の方が速いとかではなく、違う時にスピードが変わっていくっていう感じ。

簡単に言えば、球速はアメリカの方がもちろん速いんですけど、こっちの選手の方が走る方が速いとか、そういうので自分の頭の中の時計ってあるじゃないですか。野球でも。

バッティングでも守備でも、そういう時計がある中、それがもう、なんかぐちゃぐちゃになってしまって。打球速度はアメリカの方が速いですけど、日本の方が人工芝でボールが失速しないので、もっと速く感じたり。

で、エスコンはエスコンでまた違う環境だし。例えばアメリカだと1点差の試合はあまりないので、自分の心拍数も守備の時は上がらなかったり、結構リラックスできていた試合が多かったんですけど、こっちに来たら1点差の試合が多いので、その中で、自分がどれくらい冷静にできるかっていう。

なんかそういう心拍のスピードも全然違って。それが多分一番大きかったですね。スピードっていう、結構ぼんやりした言葉なんですけど、いろんな種類のスピードがあるので。プレッシャーが多い試合が、こっちの方が多いと思います。

日本野球はYouTube中心…「ファンとして」

―いつ頃から日本で野球をやりたいと考えていた

去年、監督がドラフト前に僕の名前を出してくれた時に。それまでは1回も日本でやろうとは(思っていなかった)。そんなこと考えたことなかったんですね。本当に。

アメリカ育ちで、ずっとメジャーリーグを考えていた中、別の国でこういうスポーツもあるっていうことは知っていたんですけど、メジャーのことに夢中になりすぎていて、NPBまでは頭に入っていなかった。その話があってから、ちょっと考え始めて、ドラフトされた時には自分のエモーションも、ちゃんと整理してあって、行ってみようという気持ちだった。

―日本の野球は、実際、小さい頃から見ていた

そうですね。一応、日本の甲子園だったりプロ野球は、前から見ていた。そこでプレーをしたいとか、したくないとかではなく、本当にファンとして見ていただけだった。

興味はすごくあって、日本からアメリカに来る選手が増えている中、もっと日本の野球を見始めて、日本のいろんな選手のファンになりました。

―誰ですか

特に内野手で言ったら、松井稼頭央さんだったり。アメリカにも来て。それと鳥谷さんとかを結構テレビで見ていたり。今の時代はYouTubeなので、この15年間ぐらいは、いろんな日本の選手のYouTubeを見ていました。

―6歳でアメリカのリトルリーグで野球をスタートした。きっかけは

リトルリーグでティーボールを。父が野球をやっていたっていうだけで、僕は、あんまり野球には興味がなかったんですけど…。僕が6歳でアメリカに来た時に英語も喋れなかったので、友達もいなくて。クラブチーム、リトルリーグのチームに入れば、グループもできて、コミュニケーションも取れて、友達もできて、アメリカのカルチャーも分かってくれるだろうと思って、父が入れてくれました。

―実際、友だちはできた?

はい。できました。今でも話をする友達もいます。

米時代の転機…「ジョンになりたかった」

―以前、マイノリティーについて話をしていたことが印象的だった。実際に差別を感じたことは

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