
追悼試合で逆転2ラン 大山悠輔はヘルメットを天に掲げ… 横田慎太郎さんがいたから
あの日、虎の4番はなぜ夜空にヘルメットを掲げたのか―。阪神がついに18年ぶりの〝アレ〟を成し遂げました。優勝決定戦となった9月14日巨人戦(甲子園)の試合直後、虎党の涙を誘ったシーンが大山悠輔内野手(28)の男泣きでした。苦悩と重圧を乗り越えた主砲が、今季もっとも思い出深いゲームとは…。密着取材を続ける記者が、知られざるサイドストーリーを紹介します。
プロ野球
◆大山悠輔(おおやま・ゆうすけ)1994年(平6)12月19日生まれ、茨城県出身。つくば秀英から白鷗大を経て、16年ドラフト1位で阪神入り。1年目の17年には、球団53年ぶりとなる新人スタメン4番を務めた。22年7月3日中日戦で通算100本塁打を達成。昨季まで3年連続の20本塁打を放つなど、阪神の主砲として打線をけん引している。181センチ、92キロ。右投げ右打ち。
◆横田慎太郎(よこた・しんたろう)1995年(平7)6月9日生まれ、鹿児島県出身。鹿児島実から13年ドラフト2位で阪神入り。16年に金本新監督に見いだされ、開幕戦に2番・中堅で先発し1軍デビューを果たす。同年38試合に出場したが、1軍戦出場はこの年のみとなった。脳腫瘍のため、19年限りで引退。今年7月に28歳で死去した。現役時代は187センチ、94キロ。左投げ左打ち。
菅野から値千金 インローに沈むフォーク
9月某日、焼き鳥をつまみながら大山に無理難題をお願いした。
今季1番記憶に残っている試合を教えてほしい―。予想通り「そんなの全部ですよ」と苦笑いされた後、「強いて挙げるなら」と選んでくれた1試合に少し胸が熱くなった。
「ヨコの追悼試合ですかね」
4番は答えると、照れくさそうに目をそらした。
7月25日の甲子園、巨人戦。主砲は普段と変わらず定位置の「4番一塁」で先発していた。
1点を追う6回1死一塁、菅野の内角低めに沈むフォークを巧みにすくい上げて、左翼席へ。値千金の逆転決勝2ランを決めてダイヤモンドを回り終えた後、珍しく試合中から感情を高ぶらせた。
仲間とのハイタッチを終えると、両手で持ったヘルメットを夜空に向けて揺らしたのだ。
試合後、大山はアーチ直後の振る舞いについて静かに口を開いた。
「あそこまで伸びてくれたのは、ヨコが運んでくれたからだと思います。ヨコの思いをしっかり自分の中に持って試合に臨みましたし、チームのためにもヨコのためにも、打つことができて良かった。『ありがとう』という気持ちです」
ヨコ―。この日は7月18日に28歳の若さで亡くなった元阪神外野手、横田慎太郎さんの追悼セレモニーが試合前に実施されていた。
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