【2度目の清宮幸太郎】「後悔していることが。それは来年、絶対に…」/連載〈32〉

世代屈指のアーチストと幼少期から注目を浴び、7球団競合の末に17年ドラフト1位で日本ハムに入団した清宮幸太郎内野手(24)。あれから6年。志は、まだ道半ばです。昨季、初めて規定打席に到達も、大ジャンプが期待された今季は故障離脱に泣きました。苦難の道を朗らかに登る背番号21に、心境の変化を聞きました。

プロ野球

◆清宮幸太郎(きよみや・こうたろう)1999年(平11)5月25日生まれ、東京都出身。早実初等部3年で野球を始め、東京北砂リトルで12年のリトルリーグ世界選手権で優勝。調布シニアでは一塁手。早実では1年春からレギュラー。甲子園には1年夏と3年春に出場。1年夏は2本塁打を放ち4強入りし、U18W杯に2度出場。高校通算最多の111本塁打は23年に花巻東の佐々木麟太郎に更新されるまで当時の最多記録。17年ドラフト1位で日本ハムに入団。18年5月2日楽天戦で1軍初出場し、同9日オリックス戦でプロ初本塁打を放ち、デビューからの連続試合安打記録を7に伸ばし、ドラフト制後(66年以降入団)では単独トップの新記録。1年目は7本塁打をマークし、高卒新人の本塁打数で59年の王貞治と並んで歴代9位。22年はオールスターに初選出され、第1戦で球宴36年ぶりのサヨナラ本塁打を放ち、MVPを獲得。同年は初の規定打席に到達し、打率2割1分9厘、18本塁打、55打点とキャリアハイの成績を残した。年俸は推定3300万円。184センチ、94キロ。右投げ左打ち。家族は両親と弟。父克幸氏は日本ラグビーフットボール協会の副会長。

「故障明け、感覚めちゃくちゃ悪くて」

――4月下旬に左脇腹を痛めて途中離脱。負傷前は5割8分3厘とリーグトップの得点圏打率をマークしていただけに悔しかったのでは

清宮故障から復帰後も7月まではなんとか頑張っていたんですけど、8月になってペースを落としてしまって…。また、いつもの波が来てしまったなと。

――序盤と今で打撃の感覚に違いは

清宮故障明けは感覚がめちゃくちゃ悪くて。その時の方が打てる感じがしなかった。今は打撃練習ではそんなに悪くないんですけど、なかなか結果につながらなくて、不思議だな~って思いますね。

――原因は

清宮8月に入ってからインコースを意識させられるようになって。インコースに真っすぐやスライダー、カットボールとかをすごい意識させられるようになってから、体の開きが止まらないようになってきたというか。

開くことで甘い球を逃してしまう。序盤と比べ、攻め方が厳しくなったからなのか、単純に自分の状態が悪くなっているから、さばけなくなっているのか分からないですけど、何かすごく気になるようになってしまった。

――9月13日オリックス戦(エスコンフィールド)では、右翼ポール際の放送席に飛び込む大ファウル。今季から新球場になって、思っていたより本塁打が出ない

清宮そうですね。札幌ドームよりは、もちろん狭く感じるんですけど…。あれ、入れとけよ~って感じですよね(笑い)。実際は、あまり札幌ドームと変わらないんじゃないかなって思っています。結局、ちゃんと捉えないと入らない。

「パワーナップルーム」で充電

――新球場は気に入っている

清宮最高ですね。

――いつも帰りが一番遅いけれど、何をしてる?

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