熱男、ありがとうー原監督、坂本、内川、浅野、中田、萩尾、北村、門脇の「余熱」/後
熱男の余熱-。今季限りで現役を引退した巨人松田宣浩内野手(40)。ソフトバンクで17年、巨人で1年、侍ジャパンの一員として13年、17年のWBCに出場と日本球界のけん引してきました。愛称は「熱男」。引退セレモニーでは松田本人が熱男というフレーズに感謝の意を込めました。後継者には巨人浅野翔吾外野手(19)を指名。周囲から熱々で愛された熱男の余熱を、監督やチームメートの言葉から、たっぷりとお届けします。
プロ野球
◆松田宣浩(まつだ・のぶひろ)1983年(昭58)5月17日、滋賀県生まれ。岐阜・中京高―亜大を経て、05年大学生・社会人ドラフト希望枠でソフトバンク入団。08年からレギュラーに定着し、11、13~19年ゴールデングラブ賞、18年ベストナイン。13、17年WBC、15、19年プレミア12日本代表。三塁手で1832試合出場はパ・リーグ最多。22年限りでソフトバンク退団。今季は巨人でプレー。プロ通算1921試合に出場し、1832安打。通算打率2割6分5厘、301本塁打、991打点。180センチ、86キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸2000万円。
■原辰徳前監督
▼引退を発表した9月28日の練習後▼
――松田選手の引退を受け
一番最初にお伝えしたいと、電話が来ました。報告を受けました。言われて、じゃあ分かったと。いろいろ彼も伝えてくれるところもありました。ご苦労さんと、素晴らしい野球人生だったと思う。
胸を張ってね、最後にジャイアンツのユニホームを着てプレーできたのは彼にとっても良かったと思うし、ジャイアンツにとっても良かったと思うしね。
あとは、これから先、勉強していこうねと。どういう形になるか、何か協力できることがあるならばね、野球界の大功労者としてね、協力したいと思っています。
最後のある意味、昭和の野球選手っていう感じじゃないのかな。それは思いますね。後でいろいろ聞いたりすると、すごくジャイアンツファンだったらしいね。でも、それをみじんのかけらも見せないのはやっぱり、プロだなと。最後はジャイアンツと強く思ってくれたのは、ありがたかったなと。
本人ももう少しジャイアンツでいい成績を、というものに関しては、少々のジレンマはあったと思いますね。でも見事な18年だったと思います。
▼10月1日ヤクルト戦後▼
――松田選手が現役最後だった
なんて言うんだろう。最後の最後までこう、野球少年のようなね、それで非常に勝つっていうことに強い、今日も本当に一番勝ちを願っていたようなね、わが軍に非常に必要なメンタルかなとあらためて思いましたね。
――安打はでなかったが
いやいや、サードにもゴロが飛んでね、すごくいいボールがファーストにいきましたしね。ヒットこそ出なかったけど、彼の味というものはたぶん出たんではないかなと思いますね。
――最後は守備位置に就いて交代
まあ、そんな難しいっていうか、何というか普通の演出だと思いますが、あそこはとても大事な時間だと思いました。
■坂本勇人
▼9月28日の引退会見で花束を渡した後▼
18年間お疲れさまでした。ジャイアンツでは1年しか一緒に出来ませんでしたけど、WBCでも一緒に三遊間組ませてもらって、マッチさんの熱男魂を引き継いで頑張りますので、これからの野球界に力を貸してください。本当にお疲れさまでした。
▼9月28日の練習後▼
――松田選手の引退を受け
なかなか1軍で一緒にやれなかったですけど、コンディションの面もあるし、やっぱりジャパンで一緒にやっていた時から、一緒にやってみたいなと。寂しいですね。あれだけ実績があって、声を出してる選手って、松田さんがナンバーワンだと思うので。
――一緒にプレーをして学んだことなど
自分がどういう状況であろうと、チームを鼓舞する声というのは、すごいな。敵チームで見ていた方が多いですけど、同じチームでも、それは伝わったので、すごいと思いました。
――同じチームになったことで印象の変化は
全く変わらなかったですね。野球に対しては、自分のやれることをしっかりやってる姿も見ていたし、本当に野球が好きで、それは練習からすごく伝わりました。
――年下の選手にもいい影響を残した
絶対にね。野球的な部分だけじゃなく、違う部分も。学びがあったのは間違いないですね。
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