【宇宙旅行】広島・益田武尚がさまよった3カ月…帰還後1勝/連載〈41〉

広島益田武尚投手(25)はプロ1年目の今季、“即戦力”という重圧と戦いました。22年ドラフト3位で入団。春季キャンプからアピールを続け、実戦でも結果を残しながらも、開幕直前に2軍降格を宣告されました。再昇格へ強烈なインパクトを残そうとした焦りもあり、投球フォームを崩して我を失いました。シンプルな思考とともにしなやかなフォームで、シーズン終盤にプロデビュー。ルーキーイヤーを「ゼロ点」と厳しい自己採点も、そこで見せた輝きと可能性は、2年目の大きな希望を抱かせました。

プロ野球

◆益田武尚(ますだ・たけひさ)1998年(平10)10月6日生まれ、福岡県出身。嘉穂-北九州市大-東京ガス。21年の都市対抗では優勝に貢献。22年ドラフト3位で広島入団。8月10日ヤクルト戦で1軍デビュー。9月6日のDeNA戦でプロ初勝利を挙げた。今季は8試合に登板し1勝0敗、防御率1・64。175センチ、83キロ。右投げ右打ち。

「河野が残って、自分が落ちた」

――ドラフト3位で入団した今季、開幕2軍スタートとなるなどシーズン序盤は苦しんだ

益田難しかった。というのが正直な第一印象です。

――「難しい」というのは

益田技術的な部分で言えば、ストライクゾーンが違うなと感じるところがありました。プロはきっちりベース板の枠内ですけど、社会人時代は審判にもよりますが、ややゾーンが広い傾向があったんです。都市対抗では時間制限があったからかもしれません。

ホームベースのラインからバッターボックスのラインの間に投げきれれば、ストライクを取ってくれる可能性が高かったので、そこに投げ切れる練習をしていました。プロでもライン際には投げ切れていたんですけど、ベースの枠内で変化球をコントロールする技術が不足していました。まず、そこに苦戦しました。

練習の合間に、森下暢仁(左)と日焼け具合(美白度)を比べる?=2023年10月

練習の合間に、森下暢仁(左)と日焼け具合(美白度)を比べる?=2023年10月

――プロ仕様にアジャストする時間を要したということか

益田どの球種が通用するのかとか、どこにしっかり投げ切れるのかとか。試合の中での最低ライン、状況に応じた最低ラインを意識して投げられていたかといえば、前半戦はできていなかった。それにしっかり制球できていなかった。

メンタル面を1年間維持するのもそうですし、2軍生活が続いた中で、自分のポジションを見つけきれなかったこともあると思います。

――オープン戦では2試合で計4回1安打無失点と結果を残すも、開幕直前で2軍降格となった

益田(同期入団のドラフト5位の)河野が残って、自分が落ちた。「2軍で投げてこい」と言われただけだったので「経験を積んでこい」ということだったかなと。

自分としては何かが足りないから落とされたんじゃないかと思って、何かを変えないと、何かを工夫しないと生きていけないなと感じました。

自分は社会人からプロ入りしているので、1、2年でいい印象を与えないと長く生き残れない。インパクトあるアピールをするためにも何かを変えないといけないと焦っていたら、(自分の投球やフォームの感覚が)宇宙に行っていました(笑い)。

オープン戦のソフトバンク戦で6回から登板=2023年3月4日

オープン戦のソフトバンク戦で6回から登板=2023年3月4日

――開幕前の実戦での結果自信にならず、それほど深い悩みを抱えていた

本文残り72% (3177文字/4401文字)